質問:ベジタリアン – 菜食主義

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~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より


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ベジタリアン – 60+才

Q: スピリチュアルな生活を送るのには、ベジタリアンでないといけないのですか?

A: ベジタリアンでいることは、スピリチュアルな生活においてとても意味のあることだ。純粋さ<ピュアリティ>と云うのは神を求める者<アスピラント>にとって最も重要だ。この純粋さを身体、生バイタル 命エネルギー、そして思考<マインド>に作り上げなくてはいけない。肉を食べると、動物の攻撃的な意識がわれわれの中に入ってくることになる。神経はかき乱され、落ち着きがなくなり、これが瞑想の邪魔になるのだ。求道者<シーカー>が肉を断たないと、一般的に言って微細な経験を得たり、微細なヴィジョンを見たりすることはまずない。

かつて先に進むために、動物意識が必要な時があった。動物は元来攻撃的なものだが、同時にダイナミックに前に押し進める力もその意識の中にはある。動物の資質がなかったなら、木のように自動力のないままでいたか、成長も動きもない石の意識のままでいたことだろう。ただ残念なことには、動物の意識には光明があたっていない、破壊的な資質が多く含まれている。あなた方は既にスピリチュアルな生活に入ったのだから、人生における動物意識の役割はもう終わってしまった。動物の意識から人間の意識に入り、今そこから神聖な意識へ入っていこうとしているのだ。

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玉子と乳製品は大丈夫ですよ!

と乳製品は大丈夫ですよ!

と乳製品は大丈夫ですよ!

果物と野菜の穏やかな資質は、内面と外面の生活において優しさ、柔らかさ、シンプルさ、純粋さを育むのに役立つ。ベジタリアンであれば、自分の内的存在<インナービーイング>がより強固になる助けになる。内的には祈り、瞑想をする。外的には〈母なる地球〉が与える食べ物がわれわれを助け、エネルギーだけでなく、アスピレーションも与えてくれるのだ。

肉が強さをくれるのだと感じている人たちは大勢いるが、一度自分の奥深くに行けば、肉を信じるその考えが強さをくれているのだと云うことがわかるはずだ。その考え方を変え、肉ではなくて、自分の体にみなぎるスピリチュアルなエネルギーが強さをくれているのだと思うことも出来る。このエネルギーは適切な栄養と同時に、瞑想から得ることが出来る。アスピレーションと瞑想からもらう強さは、肉からもらう強さより限りなくパワフルなものなのだ。

ベジタリアンの方がスピリチュアルな生活における進歩が早い、と云う結論に達したスピリチュアルな求道者<シーカー>は大勢いるが、ベジタリアンであると同時に祈り、瞑想しなくてはいけない。アスピレーションがあれば、ベジタリアンの食生活がより大きな助けとなる。それは身体の純粋さが内的アスピレーションを、もっと激しくもっと魂のこもったものにしてくれるからだ。しかし一方で必ずしもベジタリアンでないことが、スピリチュアルな前進が出来ないとか、神を悟ることが出来ないと云うことではない。

~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より

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