集中の力

~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より 集中の力 集中とは内的に意識がはっきりと、冴えていると云うことだ。盗人はあなたのまわりにもそして中にもたくさん住んでいる。〈恐れ・疑い・心配・不安〉と云うのは、あなたの内的な安定や心の平安を盗もうとする内面にいる盗人のことだ。 しかし、集中の方法さえ知っていれば、このような力が自分の中に入ってくるのは難しい。猜疑心が思考<マインド>に入ってくれば、集中の力がそれをこなごなに砕いてしまう。また恐れが入ってくれば、集中の力が追い払ってしまう。現いま在のあなたがたは光の射さない、どんよりと暗い破壊的な考えの思う壺になっている。しかし、集中の力が増してくると、邪念の方がわれわれを恐れるようになるのだ。 集中と云うのは、われわれの中で機能しているマインドのダイナミックな意志の力だ。その力は光を受け入れ、闇を拒絶する。それはあたかもわれわれの中に住まう神聖な戦士のようなもの。神や真理を求める人生<アスピレーションライフ>の中で集中が果たしてくれる役割は想像の域を超えている。 集中はわれわれをこの地上での、まさに地獄そのもののような途絶えることのない心配と不安、そして拷問の苦しみから解放し、天国の永遠の続く悦びの内で生きてゆくことを容易くしてくれるのだ。 集中はゴールに到達する一番確実な方法といえる。そのゴールが神を悟ることであろうが、単に人の欲望を叶えることであろうが。真の求道者<アスピラント>は遅かれ早かれ集中の力を会得することになる。 〈神の恩寵〉、あるいはあなたの〈アスピレーション〉、あるいは継続的なトレーニングによって・・   魂の不屈の意思 〈集中〉それは何かに突入する弾丸、あるいは集中の対象を引き寄せる磁石のようなものだ。集中がおこなわれる時、どんな考えもマインドに入ってくることを許さない神聖なものでも神聖でないものでも、世俗的でも非世俗的なものでも、良くても悪くてもだ。 集中ではマインド全体を何かの〈物体〉かあるいは〈テーマ〉に注意を集中させる必要がある。もし花びら一枚に集中しているのなら、その花びら以外にはこの世には何も存在しないとマインドを集中すること。前も後ろも、上も中も見ず、ただ一点集中の力でその対象を射抜くこと。しかし攻撃的に何かに入っていくわけではない。この集中力は魂の不屈の意思、意志力からきているのだ。 何かの対象を使って集中を練習する場合には、その対象からすぐ喜びを得られるものを選ぶこと。あなたに師<マスター>がいるならマスターの写真からたちまち喜びを得られるはずだ。マスターがいなければ何かとても美しく、神聖で純粋な、例えば花のようなものを選ぶといい。 思考<マインド>の光を放つ一点集中の力で集中する… »

矢と弓-集中は矢で瞑想は弓

~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より 矢と弓 集中は矢で瞑想は弓 集中とは、何かテーマや物体にエネルギー全てを向け、その神秘のベールを剥がそうとすること。 瞑想は、限界ある意識からより高い意識へ行くこと。そこには静寂の広大さが君臨する。 集中はめがけていくその知識をとらえたい。瞑想は追求するその知識と一つになりたい。 集中は心の乱れを許さない、心の乱れとは集中の部隊本部に入って盗人だからだ。 だが瞑想はその盗人を中へと招き入れる。 何故? もちろん現行犯で逮捕するためだ。 集中は散りじりにおなってしまった意識を我に返るよう促す司令官。 集中と絶対に強固な意志 この二つは分かちがたいだけでなく、お互いを必要とする神聖な戦士。 集中は敵に決闘の挑戦をし、戦う。瞑想は、その静かな微笑みで敵の攻撃の威力を小さくする。… »

スピリチュアル・ハート——平安の住みか

~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より 幸せになりたいのかな? だったら マインドの力を過大評価せず ハートの光を過小評価しないこと ハートと魂 ハートで瞑想すると云うことは、魂がいる場所で瞑想すると云うことだ。確かに、魂の光と意識は体全体に広がってはいるが、魂には大体いつもいる場所と云うのがあり、それがハートの中なのだ。光を受け取りたいのなら、魂から受け取る必要がある。それはハートの中にあるのだ。何が欲しくて、どこに行けばそれがあるのか分かっているなら、そこへ行くのは当然のこと。さもなければまるで、金物屋に夕飯のおかずを買いに行くようなものだ。(笑) マインドから得られるものとハートから得られるものには、比べものにならないくらい差がある。マインドには限界があり、ハートには限界はないからだ。あなたの内側奥深くには無限の平安<ピース>・光明<ライト>・至福< ブリス>〉がある。限られた量のものを手に入れるのはたやすいことだ。マインドでの瞑想がそれにあたる。しかしハートで瞑想すれば、もっと限りなく、多くののものを得ることが出来る。仮にあなたが二つの会社で働くとする。一方では二百ドル稼ぎ、もう一方では五百ドルを稼ぐことが出来る。ちょっと考えれば、一方の会社で時間を無駄にすることスピリチュアル・ハートはないだろう? マインドに完全に頼っている限り、まずあなたは瞑想に失望してしまうことは見に見えている。マインドはすべてを複雑にし、あなたを混乱させてしまうからだ。普通の人は複雑なことが智恵だと思っているが、スピリチュアルな人は神がとてもシンプルだと云うことを知っている。複雑さではなく、シンプルさの中に本当の真実はあるものだ。 そうだからと云って、マインドがいつも悪者だと言っているわけではない。いつも悪者だとは限らないのだが、マインドには限界がある。マインドから得られるものは、せいぜいよくてインスピレーションなのだが、それ自体限界がある。真のアスピレーションを得るためには、ハートへ行かなければならない。アスピレーションはハートからやって来る。そこは魂の輝きがいつもあるところだからだ。ハートで瞑想すればアスピレーションを得るだけでなく、魂の無限の〈平安・光明・至福〉を得ることになり、あなたのアスピレーションは初めて満たされる。   Q: 瞑想中にスピリチュアル・ハートにたどり着くにはどうしたらよいのですか? A: スピリチュアル・ハートは胸部の真ん中にある。あなたが強力なアスピレーションがあるときには、スピリチュアル・ハートを感じることが出来るだろう。またそれは第三の目で見ることも出来る。スピリチュアル・ハートで瞑想するのが難しければ、心臓そのものに集中してもよい。しかし数ヶ月または一年ほど経つうちに、肉体の心臓の中には神聖な〈こハートころ〉があり、そして神聖なハートの中には魂<ソウル>があるのを感じることが出来るはずだ。これが感じられたら、スピリチュアル・ハートで瞑想を始めることが出来る。… »

質問:瞑想中に創造的な考えが浮かんだら…期待するの

~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より マインドは質問の洪水だ それに答えられる師はただ一人しかいない 一体それは誰だ? それこそは静寂を愛する あなたのハートなのだ Q: 瞑想中に創造的な考えが浮かんだら、それを追っていった方がいいですか?それともハートの中で、ただそれを感じようとした方がよいのでしょうか? A: 前向きな考えが浮かんだら、それはただちに神<スープリーム>からの祝福だと思って間違いない。しかし、それがどんな種類のインスピレーションなのかわかっていないといけない。明るく照らされるようなインスピレーションであるなら、また何かとてもよいことをするための、創造的なインスピレーションであるなら、追っていくといい。創造的な考え、より高いゴールを示してくれる考えには何でも従った方がいいだろう。あるインスピレーションが、あなたの人生に何か新しいものをもたらしてくれ、あなたの人生を変革してくれるのであれば、そのときには追いかけていくべきだ。 あなたがたはインスピレーションはマインドの中だけに存在し、アスピレーションはハートの中だけに存在すると感じているかもしれないが、アスピレーションがマインドにあることもあれば、インスピレーションがハートにあることもある。インスピレーションがアスピレーションにやってくることもあり、その反対もありえる。しかし、そう云うインスピレーションは、とても高い種類のものでなくてはならない。そうでなければそれは全く瞑想の助けにはならない。瞑想中に、おいしいクッキーを焼こうと云うインスピレーションが湧いたとしても、これは時間の無駄でしかない(笑) 明るく輝くインスピレーションなら、「その創造的なアイデアがまさに自分自身の進歩なのだ」と受け止めるがいい。なぜならその創造的なアイデアは、この物質世界で体現されたいと望む別世界から来た創造物なのだから・・・・ だからその場合には瞑想の後でその考えを書き留めて置くほうがいい。そしてそれを後でさらに深めてゆくことになる。   Q: 瞑想するとき、何か特定のものを期待するのはいけないことなのですか? A: 瞑想中はただあなたの内的、外的な存在をすべて神<スープリーム>〉に投げ出すようにすること。何も考える必要はない。ただ、光明<ライト>・平安<ピース>・至福<ブリス>・力<パワー>の海に自分を投げ入れるのだ。 しかし、何かある特定の神聖な資質や結果を期待してはいけない。それは自分のことも、神<ゴッド>のことも縛っていることになってしまうからだ。なぜなら、人の期待は無限ではなく、非常に限界があるからだ。期待するとただちにマインドが働き、受容力がとても限られてくる。でも何も期待しなければ、受容力の問題は神<ゴッド>の問題となる。そのとき神は確実に、あなたに全てを極限なく与え、と同時にあなたの中に与えるものを受け取るのに十分な受容力を作り上げてくれるのだ。… »

ダウンロード

めいそうこではインスピレーションを与えてくれたり瞑想の助けになる音楽や楽譜、映像などをダウロードできます。 音楽 1 2 3 4 動画 5 6 7 8  瞑想の本 …    … »

頭を空っぽにする

~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より 時に静寂の中に身をおくことが必要だ と云うのも それこそが唯一の道なのだ もう少しよく知り もう少し賢く考え もう少し完璧になり もう少し早く、神を自分のものとするために 静かなマインド 思考<マインド>を静めるどの瞑想の道を選ぼうと、まず最も大切なことは、思考<マインド>を静かに落ち着かせることだ。あなたの中でいつも思考が忙しく動き回り、容赦ない諸々の考えの餌食になっているようなら、まず進歩はない。思考は常に静かに落ち着いていることが肝要なのだ。そうすれば、天から 光明が下りてくるのが分るようになる。意識して光明に気づき、受け入れることであなたは非常に深い瞑想に入ることが出来る。そしてあなたの人生は浄化され、変革され、明るく輝いてくる。 しかし、どうやれば思考を静かに落ち着かせることが出来る? 思考はそれ自体力をもっている。そして現在<いま>のあなたの中では、この力はあなたの瞑想したいと云う熱意や決意よりも強いのだ。しかしこハートころの助けを借りることが出来れば、徐々に思考をコントロール出来るようになる。こころは常に、光明とパワーで満ちあふれた魂ソウル から同じように助けをもらっている。… »

質問:ベジタリアン – 菜食主義

~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より Q: スピリチュアルな生活を送るのには、ベジタリアンでないといけないのですか? A: ベジタリアンでいることは、スピリチュアルな生活においてとても意味のあることだ。純粋さ<ピュアリティ>と云うのは神を求める者<アスピラント>にとって最も重要だ。この純粋さを身体、生バイタル 命エネルギー、そして思考<マインド>に作り上げなくてはいけない。肉を食べると、動物の攻撃的な意識がわれわれの中に入ってくることになる。神経はかき乱され、落ち着きがなくなり、これが瞑想の邪魔になるのだ。求道者<シーカー>が肉を断たないと、一般的に言って微細な経験を得たり、微細なヴィジョンを見たりすることはまずない。 かつて先に進むために、動物意識が必要な時があった。動物は元来攻撃的なものだが、同時にダイナミックに前に押し進める力もその意識の中にはある。動物の資質がなかったなら、木のように自動力のないままでいたか、成長も動きもない石の意識のままでいたことだろう。ただ残念なことには、動物の意識には光明があたっていない、破壊的な資質が多く含まれている。あなた方は既にスピリチュアルな生活に入ったのだから、人生における動物意識の役割はもう終わってしまった。動物の意識から人間の意識に入り、今そこから神聖な意識へ入っていこうとしているのだ。 と乳製品は大丈夫ですよ! と乳製品は大丈夫ですよ! 果物と野菜の穏やかな資質は、内面と外面の生活において優しさ、柔らかさ、シンプルさ、純粋さを育むのに役立つ。ベジタリアンであれば、自分の内的存在<インナービーイング>がより強固になる助けになる。内的には祈り、瞑想をする。外的には〈母なる地球〉が与える食べ物がわれわれを助け、エネルギーだけでなく、アスピレーションも与えてくれるのだ。 肉が強さをくれるのだと感じている人たちは大勢いるが、一度自分の奥深くに行けば、肉を信じるその考えが強さをくれているのだと云うことがわかるはずだ。その考え方を変え、肉ではなくて、自分の体にみなぎるスピリチュアルなエネルギーが強さをくれているのだと思うことも出来る。このエネルギーは適切な栄養と同時に、瞑想から得ることが出来る。アスピレーションと瞑想からもらう強さは、肉からもらう強さより限りなくパワフルなものなのだ。 ベジタリアンの方がスピリチュアルな生活における進歩が早い、と云う結論に達したスピリチュアルな求道者<シーカー>は大勢いるが、ベジタリアンであると同時に祈り、瞑想しなくてはいけない。アスピレーションがあれば、ベジタリアンの食生活がより大きな助けとなる。それは身体の純粋さが内的アスピレーションを、もっと激しくもっと魂のこもったものにしてくれるからだ。しかし一方で必ずしもベジタリアンでないことが、スピリチュアルな前進が出来ないとか、神を悟ることが出来ないと云うことではない。 ~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より リンク 頭を空っぽにする… »

目を開けているか、閉じるか?

~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より 瞑想は神聖な贈り物だ瞑想はこの世での人生をシンプルにし、精スピリチュアルライフ神生活に活力を与えてくれる瞑想によって人生は、自然でのびのびしたものになるとにかく自然でのびのびし自分自身の神聖さを一息ごとに意識しないではいられなくなる 目を開けているか、閉じるか? 目を開けたまま瞑想したほうがいいのか、と聞かれることが多い。目をつぶって瞑想をすると、殆どの人たちはが眠ってしまう。五分ほどは瞑想をしても、後の十五分は眠りの世界に入ってしまうのだ。ダイナミックなエネルギーを得るのではなく、だるさ・自己満足・そしてある種の安らかで甘美な感覚を覚えるだけだ。 瞑想中に目をつぶり眠りの世界に入ると、様々な空想を楽しむことが出来る。あなたは持ち前の豊かな想像力で、より高い世界に入っていくのだと感じるかも知れない。実際、すばらしい瞑想をしているのだと思い込む方法はたくさんある。 だから、目は半分開き、半分閉じた状態でいるのが一番いい。このようにして、あなたは木の根元と最も高いこずえにある枝に同時にいることが出来る。目を半分開けている自分は、〈母なる地球〉を象徴する根元にいる。一方目を半分閉じている自分がいるのは一番高いところにある枝、ヴィジョンの世界、または〈天国〉と言える。あなたの意識は最高の高みにいると同時にこの地球上にもいて、世界を変革しようとしているのだ。 半眼の状態で瞑想するとき、これを「獅子の瞑想」と云う。こころの奥深くに行っている間も意識して、物質世界にも無意識の世界にも注意を払っていることが出来る。物質界の騒音と混乱、そして無意識界の眠りがあなたを呼んでいる。しかしあなたはそのどちらも乗り越えているところなのだ。「OK、僕の意識ははっきりしている。そちらの世界へ連れて行くことは出来ないんだよ。」とあなたは言っているのだ。目が半開きなので、眠りに落ちることはない。こうして無意識の世界に挑んでいるのだ。同時に周りで何が起こっているか見えているから物質界のコントロールも保つことが出来る。 ~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より リンク 質問:ベジタリアン  

瞑想を始める準備-基本をマスターする

~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より 準備がないと何も始まらない 何も始まらないと前進もない 前進がないとゴールもない そして ゴールがなければ 満足はない 瞑想を始める準備 家で瞑想する際には、瞑想のためだけに使う神聖な場所をつくり、 そこを完璧に純粋で清めること。そこに、自分のスピリチュアル・マスター、または仏陀やイエス・キリスト、あるいは自分が師と仰ぐ神聖な存在の写真や絵を飾るといい。このような場所をシュラインと云う。 瞑想を始める前に、シャワーを浴びるか風呂に入って身をきれいにしておくがいい。これはあなたの意識を浄化する助けになるからだ。シャワーを浴びることが出来なければ、少なくとも顔は洗うこと。そして、清潔で軽い服を着るのがいい。部屋に香を焚き、シュラインには花を生けておきなさい。香の香りがもたらすインスピレーションと浄化作用はほんのわずかかもしれない。しかしこのわずかなものがあなたの内面の宝物となる。瞑想中に目の前に花を置く必要はないと云う人たちもいる。「花はわれわれの内面にある。千枚の花びらを持つ蓮の花は私たちの中に咲いているのだ。」と云うのだ。しかしシュラインにある実物の花は、あなたの内側に咲く花を思い起こさせてくれる。その色、香り、純粋な意識があなたに霊感<インスピレーション>をもたらす。そしてこの霊 感<インスピレーション>から、心<アスピレーション>から神を求める気持ちが生まれてくるのだ。 瞑想中にろうそくを使うのも同じ理由だ。ろうそくの炎自体にはアスピレーションなどはない。しかしその燃えるな炎を見ることで、自分の内的存在のアスピレーションの炎が高く、何よりも高く昇ってゆくのを感じることが出来る。もし神を悟る直前か、もう神を悟ってしまっている者にとっては、このような外的なことには何の価値もない。しかし悟りへの道のりがまだ遥かなものと分かっていれば、花やろうそくが確実に、あなたのアスピレーションを高めてくれるのだ。 毎日の瞑想をするときは、必ず一人で行いなさい。但し、同じスピリチュアル・マスターを持つ夫婦の場合は例外だ。この場合、夫と妻は一緒に瞑想してもよい。それ以外は、毎日の個人の瞑想をほかの人とするのは勧めない。グループでする瞑想も大切だが、個人の日々の瞑想は、自分のシュラインに向かって、一人で行ったほうがよい。 瞑想は神聖な贈り物だ瞑想はこの世での人生をシンプルにし、精スピリチュアルライフ神生活に活力を与えてくれる瞑想によって人生は、自然でのびのびしたものになるとにかく自然でのびのびし自分自身の神聖さを一息ごとに意識しないではいられなくなる… »

質問:もっと人生に喜びが欲しいのです

~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より 魂のこもったこころが至高の真実を発見した。 神に瞑想するのは義務ではなく名誉なことなのだ。 Q: もっと人生に喜びが欲しいのです。けれどもだからといって、そのために瞑想に飛び込むだけの自信がありません。 A: 人生に喜びを感じていない、しかし喜びは欲しいと感じている。それはつまり、あなたがスピリチュアルなことに飢えていると云うことだ。スピリチュアルに飢えているなら、スピリチュアルな食べ物を食べることだ。 飢えていなければ食べないだろう? あなたはこれまで十五~二十年の間、スピリチュアルな生活を誠実に、あるいはは激しく求めてくることはなかった。あまりに長い間瞑想もしてこなかったから、スピリチュアルな海に急に飛び込んでも泳ぐことは出来ない。自分の性質をすぐに変えることは出来ないから、ゆっくりと一定のペースで、少しづつやるようにするといい。最初は水の中で動き回り、徐々に泳ぎ方を習うこと。そのうちうまく泳げる時がやってくる。しかしあなたにはもう内的に飢えがあるのだから、泳ぎ始める準備が出来ていると云うことだよ。 ~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より リンク 瞑想-まず始めに

集中-基本のテクニック

~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より 基本のテクニック ビギナーは、集中<コンセントレーション>から始めるのが一番良い。集中が出来ていないと、思考<マインド>を落ち着かせ静めようとした途端、数え切れないほどの欲しくもない考えが浮かん出来て、たった一秒でも瞑想することなど出来はしない。集中が出来れば、瞑想の妨げになる考えにその時点で対抗することが出来る。だから初めのうちは、ただ集中の練習を何分か行うこと。それを何週間か、何ヶ月かやってから、瞑想<メディテーション>をやるのがいい。 瞑想を始めるにあたっては、いつも自分は子供なのだと思うこと。子供のときは思考<マインド>が発達していないが、十二歳か十三歳になると、思考が知性のレベルで働き始める。けれどそれ以前の子供は、こころ<ハート>だけの存在だ。子供は自分は何も知らないと思っている。瞑想やスピリチュアル・ライフについての思い込みはまだなく、真っ白な状態から学びたいのだ。 まず自分は子供なのだと感じたら、次に花がたくさん咲いている庭にいると想像するといい。子供は庭で何時間でも遊ぶことが出来る。あの花の側へいったり、この花のところにやって来たり、なかなか庭から出ようとしない。一つ一つの花の美しさと香りが、喜びを与えているからだ。だからあなたの内側には庭があり、そこに好きなだけいられるのだと感じてみることだ。こうやってハートでおこなう瞑想を身につけることが出来る。 ハートに留まることが出来たら、内側からほとばしりでる叫びを感じ始めるだろう。この内側からの叫び、つまりアスピレーションが瞑想の秘訣なのだ。大人が泣き叫ぶとき、それは必ずしも誠実なものではないが、子供が泣き叫ぶとき、たとえ飴玉一個がほしくて泣いているのだとしても、それはとても誠実なものなのだ。その時飴玉は、この子供にとっては世界のすべてなのだ。飴玉の代わりに百ドルあげたとしても、子供は決して満足しない。ただ飴玉がほしいのだから。子供が泣けば、父親か母親がすぐ飛んでくるように、あなたが心の奥深くから、平安<ピース>・光明<ライト>・真実<トゥルース>を求めて叫び、ほかの何ものもあなたを満たすことが出来ないならば、永遠の父・永遠の母である神は必ずやってきて、助けてくれる。 だから、いつも自分は子供のように無力なのだと思ってみるがいい。自分では何も出来ないと感じたら、すぐに、誰かが助けに来てくれる。子供が道に迷って泣き出したら、親切な人がやって来て、家がどこにあるか教えてくれる。あなたも道に迷ったのだと思ってみるがいい。それは丁度ひどい嵐のようなものだ。〈疑い・恐れ・不安・心配・自信のなさ〉といった神聖でない力がふりかかってくる。しかし心の底から泣き叫べば誰かがやって来て、どうやればあなたの家であるこころ<ハート>に帰れるか教えてくれるだろう。その〈誰か〉とは誰だろう?それが神<スープリーム>、あなたの内なる導き手<インナーパイロット>なのだ。 朝早く あなたの友、真の友、唯一の友である神を招き入れるがいい その日一日を一緒に歩いてくれるように ~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より リンク 質問:もっと人生に喜びが欲しいのです

瞑想-まず始めに

~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より  スピリチュアルな観点から言えば 神の探求者はすべて初<ビギナー>心者だ 止むことなく常に前進したいと思った瞬間に 永遠のビギナーとなる まず始めに スピリチュアルな観点から言えば、神の探求者はすべて初<ビギナー>心者だ。ビギナーとは、絶えず、もっと神聖なもの、もっと光り輝くもの、もっと満ち足りたものになっていきたい、と云う内的な渇望を持った人のこと。止むことなく常に前進したい、自分自身を超え、絶えず超越し続ける〈彼方〉に入っていきたいと思った瞬間から、あなたは永遠のビギナーとなる。 もしあなたがまったくのビギナーなら、スピリチュアルな本かあるいは聖典を何冊か読むことから始めてみるのがいい。そこでインスピレーションを得ることが出来るからだ。自分の信頼出来る霊性の師<スピリチュアルマスター>の本を読みなさい。最高の意識の高みに到達した師<マスター>は確かに存在する。 この人たちが書いた本を読めば、必ずインスピレーションがもらえるはずだ。反対に、大学教授や学者、まだ光明を受けていない成アスピラント 長を熱望している人などが書いた本は、勧めない。〈真実〉を悟った者だけが〈真実〉を示す力があるからだ。さもなければ、盲目の人が盲目の人を導いているようなものだ。 またすでに瞑想をある程度経験してきた人たちと交流するのもいい。彼らはあなたを教える立場にはないかもしれないが、インスピレーションをもらうことは出来る。その人たちが瞑想している間ただ脇に座っているだけでも、あなたの内面の存在は、無意識のうちに瞑想する力を得ることになる。別に何かを盗っているわけではない。意識的にはわからなくても、内面の存在がその人たちに助けてもらっていると云うことだ。 始めは瞑想と云うことも考えなくていい。ただ、一日のうち決まった時間を設け、自分を落ち着かせ、静かにする時間を持つこと。そしてこの時間は他の誰のものでもなく、自分自身の内面の存在のためのものなのだと思ってみなさい。規則的に行うことが最も大切だ。決まった時間に一定の練<プラクティス>習をする必要があるのだ。 毎日学ぶべきことはたった一つ どうしたら心から幸せでいられるか、と云うこと… »

質問:どうやって瞑想するのですか?

~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より  Q: どうやって瞑想するのですか? A:  瞑想には二つの方法がある。一つは思考<マインド>を静かにさせるやり方だ。ふつうの人は、思考を静めてしまったら馬鹿になってしまうのではないかと思っている。思考がなくなることで、すべてが失われてしまうのではないかと思っているのだ。しかしスピリチュアルな見地ではこの考えは間違っている。スピリチュアル・ライフでは、思考を静かにさせると、そこに何か新しい創造、新しい神への約束が芽生えるのがわかる。今はまだ、神との約束を果たしてはいない。まだ、自分の存在を完全に神に捧げてはいるわけではない。しかし思考を静めることが出来れば、神を喜ばせ、満たすことが出来るようになる。もう一つの方法は、こころ<ハート>を空っぽにすること。今の時点では、ハートは純粋でない生バイタル 命エネルギーに包まれている。その純粋でない生命エネルギーによって引き起こされた、感情的な混乱と問題でいっぱいだ。ハートは器にしか過ぎない。今、この器は、われわれを縛り、制限する神聖ではないもので満たされている。が、もしこのハートの器を空にすることが出来れば、誰かがやってきて、神聖な〈平安<ピース>・光明<ライト>・歓び<ディライト>で満たしてくれる。そしてわれわれはくびきから解放され自由になる。ハートの中の無<イグノランス>明を取り去って空っぽにすると、今度は神の〈叡智の光〉で満たされることになる。 ♦ Q: 瞑想が最も高いところにある真実なのですか? A: ビギナーにとっては、瞑想が最も高いところにある真実だといえるだろう。しかし上級者になると、瞑想は至高の真実へ導いてくれるものにすぎないことが判る。もし今まで無明の世界で生きてきて、わずか一分でさえ祈ったり瞑想したりしたことがないのであれば、当然その人にとっては瞑想が、自分の意識が到達しうる最も高いところにある真実となる。しかし何年か瞑想を続けると、瞑想それ自体は至高の真実ではないのだと判る。至高の真実と云うのは、瞑想の道を歩みながら実現し、あなたがなってい,,,,,,,ものなのだ。 ♦ Q: スピリチュアルに進化し、悟りの境地に達したら、瞑想の焦点は変わりますか? A: 悟りの境地に達した後は、神の探求者<シーカー>がするような瞑想はもう必要ない。悟りの境地へ行くとき、つまり神<スープリーム>と一つになるとき、その人は常に瞑想していることになるからだ。神の探求者が〈神〉を悟った後に瞑想するのは、何か達成しようとか、何かを越えようとかするためではない。人類のために平<ピース>安・光<ライト>明・至<ブリス>福を下ろしてくるため、または他の人たちの意識を目覚めさせるために瞑想をするのだよ。 ~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より リンク… »

なぜ瞑想するのだろうか?

~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より それは、この世界がわれわれを満たすことが出来ないから・・ 日常生活で、いわゆる平安<ピース>と呼ばれているものは、どこまでも続く不安・心配・失望 の果てにおとずれる、わずかひとときの平穏にすぎない。われわれは常に、嫉妬・恐れ・猜疑心・心配・不安・絶望といった否定的<ネガティブ>な力に囲まれ、そのなすがままになっている。この否定的<ネガティブ>な力は、言わば猿のようなものだ。「猿がかみつくのに疲れて、つかの間の休息をとっているその間こそが平穏でいられる」と云うわけだ。しかしこれは真の平安とは全く違う。次の瞬間にはまた猿に攻撃されてしまうのだから・・・ ずっと続く平安、神聖な平安は瞑想を通して初めて手に入れることが出来る。朝、こころをこめて瞑想し、一分でも平安を受け取ったならば、その平安はその日一日あなたを満たしてくれる。そして最もレベルの高い瞑想をすると、本当にゆるぎない平安<ピース>・光明<ライト>・歓び<ディライト>を得ることが出来る。 瞑想が必要なのは、人が光明<ライト>の中で成長し、自分自身を満たすためだ。あなたにこう云う強い真アスピレーション実を希求する思いと心の渇きがあるのなら、瞑想をする以外に道はない。もしあなたが、現いま在持っているものと現在の自分に満足しているのであれば、瞑想をする必要はない。瞑想を始めるのは、内インナーハンガー的な飢えがあるからなのだ。自分の中に何か光り輝くもの、何か広大なもの、何か神聖なものが在るのを感じている・・・ その何かが絶対に必要なのだ。しかしそれをどうやって手に入れたらいい? 今のあなたにはまだわからない。なぜなら内インナーハンガー的な飢えと云うのは霊スピリチュアル的な必要性から来るものだから。 瞑想は逃避ではない もしこの世界から逃げ出して、苦しみを忘れるために瞑想の生活に入るのなら、それはまちがっている。この世における生活の失望や不満といった理由で精スピリチュアルライフ神生活を選ぶのであれば、それは長続きはすることはまずない。なぜなら、今日は欲望を満たすことが出来ずにこの世の中に不満をおぼえたとしても、明日になればきっととあなたはこう云う。「もう一度やってみるさ、今度はきっと上手くいくにちがいない。」 でもあなたはやがてわかってくる。欲望の人生に満足は決してありえないことを。そしてあなたはやがて、精神的な生活へ入ってゆく必要性を感じ始めることになる。 瞑想とは何だろう? 瞑想とは人間の自己覚醒であり、神が自らを捧げること この二つが出会うとき、… »

シュリ・チンモイへの推薦のことば

「本当にたくさんの国で、世界平和のため、人のためになさっている良いお仕事をとても嬉しく思います。神の栄光と、人のために、これからも共に働き、分かち合ってゆきましょう。」マザー・テレサ 「貴方の愛に溢れた心と、深い叡智を限りなく敬愛しております。」ミハイル・ゴルバチョフ元ソビエト連邦大統領 「貴方がなさっていることは、人類全体、世界全体のためになることです。」ネルソン・マンデラ元南アフリカ大統領 「あなたの世界平和と人類共存のための多大な御貢献についてもう一度言わせて下さい。 このような活動は世界中の政治活動にとって、誇りとインスピレーションの源です。人類を向上させるためにあなたがなさっていることに心からお礼申し上げます。」ハビエル・ペレス・デクエヤル元国連事務総長 「シュリ・チンモイ、あなたは私たちみんなの励みです。」カール・ルイス

2013年5月___瞑想を始めよう!

5月のスペシャル・ゲスト シリーズ(東京、横浜) シュリ・チンモイの瞑想法をつかった 瞑想ワークショップ(東京、横浜) 2013年5月のスペシャル・ゲスト シリーズです。この機会に瞑想を学んで毎日の生活に取り入れてみませんか? 開催場所: 東京中野区、杉並区、神奈川県横浜市。詳しいスケジュールはお問い合わせフォームへどうぞ。 参加費: 無料 スペシャル・ゲスト講師 その1: アシルバード・ザイアントチック(ブラジル) アシルバードの略歴: ブラジル生まれ。15年にわたってシュリ・チンモイに師事し瞑想を学ぶ。これまでにヨーロッパ、アジア、南北アメリカ等25カ国で瞑想ワークショップを開催。日本はこれが9度目の来日。基本的な呼吸法、マントラによる集中テクニックなどの実習の後、ワークショップの最後ではシュリ・チンモイ師の無分別三昧の際の高意識の写真を用いた、パワフルな瞑想法を指導している。 スペシャル・ゲスト講師 その2:… »

準備しないと試せない

準備しないと試せない。 試さないと前進しない。 前進しないと完成しない。 完成しないと満足しない。 No preparation, no attempt. No attempt, no progress. No progress, no… »

東京瞑想・講師紹介

Yahva Hoffmann 東京で講習会講師を担当。 海外からの講師の通訳もしている。 丹羽プロミティ[Pramiti Niwa] 東京・鎌倉で講習会講師を担当。シュリ・チンモイの瞑想法で瞑想をして25年。 Abhisar Laza [アビシャール ラジャ] チェ コ生まれ。シュリ・チンモイに師事し瞑想を学んで20年。ヨーロッパ、アメリカ、カナダ、韓国、日本で瞑想ワークショップを行って 17年になる。大学での平和についての講義、人道支援や国際交流のボランティア活動にも活発に取り組む。今回が4度目の来日。クラスでは通訳が付きます。    … »

シュリ・チンモイと日本

シュリ・チンモイは大変な親日家で、生前日本を18回訪れました。 日本に来ると毎日詩心が鼓舞される、と日本や日本人についていくつも詩を書いています。 その中で日本を「忠実と優美の地 (Beauty’s Land, Duty’s Hand)」、「魂の花園(A Soulful Flower Garden)」などと描写し、その高い精神性を称えています。ここでは、シュリ・チンモイが1969年に初来日した際遭遇した出来事をつづった詩をご紹介します。 日本のお巡りさん 私は笑みを浮かべて そのお巡りさんに聞いたのです 「毎日デイリー・ニュースを何処かで買いたいのですが」 その若い交通巡査は 彼の職務を暫し中断して なんと私の新聞を買いに行ってしまったのです… »

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お問い合わせ ・ 無料の瞑想ワークショップに参加する 詳しいスケジュールは 042-465-7718 もしくは 下のお問い合わせフォームへどうぞ。 ありがとうございました! (=^x^=) 瞑想ワークショップについてよく聞かれる質問 ♦ 世の中を変えたい? それならまず自分自身を変えること 自分自身を変えたい? それなら静寂の海の中で… »

シュリ・チンモイ(Sri Chinmoy)について

シュリ・チンモイ(1931-2007)は調和のとれた世界を夢見て一生を捧げた現代の瞑想・ヨガの師(スピリチュアル・マスター)です。 南インドのスピリチュアル・コミュニティーで20年ほど瞑想・スポーツ・学業の修練をした後、1964年に西洋にわたり、2007年に亡くなるまでニューヨークを起点に世界的に活動しました。瞑想の指導のほか、詩人・作家・芸術家・アスリート等の顔も持ち、大学等での講演会、コンサート、絵画展、スポーツイベント、世界調和を促進する各界要人との会談など、精力的に各地を回りました。 60カ国以上にメディテーション・センターを設立し、センターのメンバーはシュリ・チンモイの瞑想法に基づいた講習会を一般向けに開催しています。講習会は設立者の方針ですべて無料です。講師はいずれもシュリ・チンモイから直接指導を受けてきた生徒です。 シュリ・チンモイの哲学の基盤にあるのは瞑想です。瞑想を日々実践することで、人は自分の内的自己とコミュニケーションがとれ、本来の自分が内側にもつ素晴らしい資質を発見し、伸ばしていくことができるという信条です。 また、瞑想を通じて自分の内側に平和な気持ちが増えると、それが周りの人や環境に伝わります。そしてこれが続くことで、もっと平和な社会・平和な世界へとつながっていくのです。 内的な生活と外的な生活は共に進まなければなりません。瞑想で内的に成長すると、それが外的な達成につながるのです。シュリ・チンモイ自身がこれを立証して余りある人生を送りました。詩人、画家、音楽家、作家、スポーツマン、人道支援家といった多彩な顔をもち、それぞれの分野を通して平和と調和の促進、そして自己超越のメッセージを世界に送り続けました。 ワールドハーモニー・ランはそのような活動の一つで、世界100カ国以上をハーモニー・トーチを持って走りつなぐ国際友情を育むリレー・イベントです。日本でも1987年以来12回行われています。 大の親日家で、来日も10回を超えました。最後に来日した2006年には、富士山麓、広島平和記念公園、鎌倉大仏でコンサートを行いました。鎌倉大仏殿ではまた、鳥の絵の展覧会も行われました。 シュリ・チンモイへの推薦のことば 「本当にたくさんの国で、世界平和のため、人のためになさっている良いお仕事をとても嬉しく思います。神の栄光と、人のために、これからも共に働き、分かち合ってゆきましょう。」マザー・テレサ 「貴方の愛に溢れた心と、深い叡智を限りなく敬愛しております。」ミハイル・ゴルバチョフ元ソビエト連邦大統領 「貴方がなさっていることは、人類全体、世界全体のためになることです。」ネルソン・マンデラ元南アフリカ大統領 「あなたの世界平和と人類共存のための多大な御貢献についてもう一度言わせて下さい。 このような活動は世界中の政治活動にとって、誇りとインスピレーションの源です。人類を向上させるためにあなたがなさっていることに心からお礼申し上げます。」ハビエル・ペレス・デクエヤル元国連事務総長 「シュリ・チンモイ、あなたは私たちみんなの励みです。」カール・ルイス… »