朝の瞑想が一番

~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より もし神の御顔が見たいなら 毎日少なくともいくらかの時間を過ごさないといけない 神の選ばれし道具であるあなたのハートと共に ~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より   ただ目を閉じて、頭に漂っている心地良い思いを楽しむだけの瞑想を五~六回やるより、一日一回でいいからしっかり瞑想した方がいい。瞑想のたびに、自分は〈命の息吹〉を〈スープリーム〉に捧げ、〈魂の光〉を前面に持ってきていると感じなければいけない。そうして初めて、瞑想は意味のあるものになる。もしあなたが、魂を込めて瞑想することが、一日に一回早朝に行うのが精一杯だと感じているなら、それで充分だ。そこにあなたの本当の受容力、誠実さ、やる気、悦びが見えることが何より大切だ。もしそこにインスピレーションがあれば、それは〈スープリーム〉から〈励まし〉と〈許可〉を貰ったということだ。つまりあなたはとても速く走って行くことが出来るだろう。また、昼休みや三時の休憩に瞑想する者もいる。すばらしいことだ。でも、早朝の瞑想も必要だ。朝早く、正しいことをして一日をスタートすることができれば、あなたは一日中インスピレーションを受けた状態でいることが出来る。 朝の瞑想が一番 朝の時間に瞑想すれば、それはとても実りあるものだということがあなたにもわかる。太陽が昇る前、地球の意識はまだかき乱されてはいない。世の中は、まだその日の喧騒の中に入っていないからだ。自然はまだ静かで落ち着いている。このことは、あなたが瞑想をする上で、大きな手助けになる。自然がぐっすりと眠っている間は、人の内に巣くう動物の部分、つまり光があたっていない意識もやはり眠っている。その時まだわれわれは、活力を与え、満たしてくれる夢の世界にいる。そしてそこから現実<リアリティ>が育っていくことになる。だから、アスピレーションを持つ目覚めた意識は、朝の瞑想から得るものが一番多いのだ。 陽が昇ると、母なる大地<マザー アース>は神聖に活動的になるか、あるいは神聖さのない落ち着きのなさを持つようになる。特に西洋では、現在のダイナミックな性質のために、宇宙あるいは外の自然に、ある種の苛立った感覚がある。このような落ち着きを欠いた世の中の性質は、あなたにとっては不要なものであるにもかかわらず、入ってきてしまうことが多い。人が活動し始めた途端、あなたがどこにいようが、たちどころにその波動はあなたの中に入ってきてしまう。大気、光、あなたの周りにあるすべてに、人間の活動と不安感のもつ波動が浸透してしまうのだよ。まるでそれはうなり声をあげるライオンのように、世の中はあなたの目の前に立ちはだかっている。うなるライオンの前で、どうやって最高の瞑想に入れるというのだろう? だが世の中が目覚める前、宇宙がまだ静かで、周りの人たちが休んでいる間なら、あなたはより深い瞑想をすることが出来る。 日中に瞑想するのはとても難しい。夜の瞑想も幾分なりと難しいものがある。なぜなら八時間から十時間、あなたは世間の喧騒の中にいたからだ。日中アスピレーションのない人たちにたくさん会い、そして無意識のうちに、その人たちの神聖でない考えや不純な思いがあなたの中に入ってきてしまっているのだ。内的に非常に強くない限りは、世の中からアスピレーションもインスピレーションもない力をたくさん自分の中に取り入れてしまっているのだ。だから夜に、朝と同じレベルの希望と神聖さをもって瞑想するのはとても難しいのだよ。瞑想の前にシャワーを浴びたり、あるいはスピリチュアルな人と交わったりすることは良いことだ。 朝になるとこのような神聖でない力や経験は、少なくともしばらくの間は、記憶から消え去っている。寝ている間にあなたの中に入ってきていた不純なものはすべて洗い流されてしまっているのだ。その時あなたの魂は、まるで〈聖なる盗人〉のように静かにあなたを観察している。普通の泥棒はあなたから何かを盗んで行くが、この〈聖なる盗人〉はただただ与えるだけなのだ。ある場所で〈平安〉が必要なら、魂はそこに〈平安〉を持ってきてくれる。魂はちょうど母親のように振舞う。子供が寝ている間、早朝そっと部屋に入ってきて、日中に必要なものを用意しておいてくれるのだ。夜寝ている間魂は、あなたに必要なことをやってあげられる機会を持てるのです。しかし、あなたが日中、外の世界の活動に夢中になっているときは、魂はあなたに与えることも、あなたが魂から受け取ることも非常に難しい。だから、朝の瞑想が一番なのだよ。 美<ビューティ>がやってきた… »

瞑想の練習

~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より 瞑想の練習 1 ハートのバラ まずあなたのハートの中で花を想像しなさい。今回はバラを思い描いてみることにする。このバラは完全に咲ききっていなく、まだつぼみのままだ。二~三分瞑想したら、その花びらが一枚一枚開いている様を想像しみること。一枚一枚開いていく花をハートの中で見、そして感じること。5分ほど経ったら、あなたのハートはなくなったと想ってみること。そして、「ハート」と云う名の花が自分の中にあるだけだと感じてみる。するとそこにはもはやハートはなく、バラの花があるだけだ。花はあなたのハートになり、そしてハートは花になってしまったのだ。 七~八分経ったら、あなたのからだ全体がこの〈花のハート〉に覆われたと感じごらん。身体はもうここにはなく、頭頂から足の先までバラの香りがするだろう?足を見れば、すぐにバラの香りがしてくる。膝を見てもバラの香りがするし、手を見ても、やはりバラの香りがする。体中いたるところに、バラの美しさ、香り、純粋さが広がったのだ。頭から足までバラの美しさ、香り、純粋さ、喜びそのものになったと思えたら、愛しの〈スープリーム〉の足もとに自分をたむける用意が出来たと云うことなのだよ。 2 意識の河 瞑想するとき、次の三つのことを思い浮かべてごらん。 ⑴ 純粋さを自分全体に ⑵ 謙虚さを自分の全存在に ⑶ そして感謝の心を自分の手足すべてと細胞のすべてに 次に息を吸い、そして吐くとき、神聖な意識の河が、あなたの中を流れていると感じてみるのだ。だが決して無理強いしたり、力んではいけないよ。そしてこの神聖な意識が、〈源〉である〈スープリーム〉と常にワンネスを保ちながら流れて行くのを感じるがいい。 3  神に捧げる 息を吸うとき、神の不滅の資質を吸い込んでいると感じ、次に息を吐くときは、自分の無明を神に捧げていると感じてごらん。… »

無限を垣間見る:瞑想

~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より 無限を垣間見る:瞑想 集中では、何か一つのものに注意の焦点を合わせる。しかし、瞑想では、同時にたくさんのことを見、たくさんのことに対処し、たくさんのことを歓迎する力が自分の内深くにあるのを感じる。瞑想では、自分自身を拡げようとする。あたかも鳥が羽を広げていくように、自分たちの有限の意識を拡げて宇宙の意識に入っていこうとする。そこには恐れもねたみも疑いも存在せず、ただ〈喜び・平安・神聖〉な力があるだけだ。 瞑想とは、意識的に大きくなり、〈無限〉となっていくこと。瞑想の時、実際何をしているかと云うと、空の、落ち着いて静寂なマインドに入っていき、そして〈無限〉そのものから栄養を得て育んでもらっているのだ。瞑想しているとき、望むことはたった一つ。それは神とひとつになること。今私は英語で話していて、あなたはそれを理解することが出来る。英語がよくわかるからだ。同様に、瞑想がうまく出来れば神とひとつになることが出来る。瞑想と云うのは神と会話をするために使う言葉のことなのだ。   平安の海 瞑想は海の底へいくようなもので、そこでは全てが静かで平安に満たされている。水面にはおびただしい数の波が出ているかもしれないが、その下にある海は影響を受けることはない。海底の一番深いところにあるのは静けさだけだ。瞑想を始めたら、まず自分の内的存在、真の存在、つまり海の底にたどり着こうとする。そこにいれば、外の世界から波が押し寄せてきても影響されることはない。恐れ、疑い、心配など世俗的な動揺はみんなただ洗い流されてしまう。われわれの内側には確固とした平安があるからだ。そこでは考えにも惑わされることはない。なぜならマインドが全く平安、静寂、一体感になっているからだ。考えが魚のように、跳ねたり泳いだりしても、あとを残すことはない。自分にとって一番高いレベルの瞑想をする時、われわれは自分を海だと感じ、海の生き物には影響されることはない。または自分は空で飛んでゆく鳥に影響されることもない。マインドが空で、ハートが無限の海。これが瞑想だ。 ~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より

集中の力

~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より 集中の力 集中とは内的に意識がはっきりと、冴えていると云うことだ。盗人はあなたのまわりにもそして中にもたくさん住んでいる。〈恐れ・疑い・心配・不安〉と云うのは、あなたの内的な安定や心の平安を盗もうとする内面にいる盗人のことだ。 しかし、集中の方法さえ知っていれば、このような力が自分の中に入ってくるのは難しい。猜疑心が思考<マインド>に入ってくれば、集中の力がそれをこなごなに砕いてしまう。また恐れが入ってくれば、集中の力が追い払ってしまう。現いま在のあなたがたは光の射さない、どんよりと暗い破壊的な考えの思う壺になっている。しかし、集中の力が増してくると、邪念の方がわれわれを恐れるようになるのだ。 集中と云うのは、われわれの中で機能しているマインドのダイナミックな意志の力だ。その力は光を受け入れ、闇を拒絶する。それはあたかもわれわれの中に住まう神聖な戦士のようなもの。神や真理を求める人生<アスピレーションライフ>の中で集中が果たしてくれる役割は想像の域を超えている。 集中はわれわれをこの地上での、まさに地獄そのもののような途絶えることのない心配と不安、そして拷問の苦しみから解放し、天国の永遠の続く悦びの内で生きてゆくことを容易くしてくれるのだ。 集中はゴールに到達する一番確実な方法といえる。そのゴールが神を悟ることであろうが、単に人の欲望を叶えることであろうが。真の求道者<アスピラント>は遅かれ早かれ集中の力を会得することになる。 〈神の恩寵〉、あるいはあなたの〈アスピレーション〉、あるいは継続的なトレーニングによって・・   魂の不屈の意思 〈集中〉それは何かに突入する弾丸、あるいは集中の対象を引き寄せる磁石のようなものだ。集中がおこなわれる時、どんな考えもマインドに入ってくることを許さない神聖なものでも神聖でないものでも、世俗的でも非世俗的なものでも、良くても悪くてもだ。 集中ではマインド全体を何かの〈物体〉かあるいは〈テーマ〉に注意を集中させる必要がある。もし花びら一枚に集中しているのなら、その花びら以外にはこの世には何も存在しないとマインドを集中すること。前も後ろも、上も中も見ず、ただ一点集中の力でその対象を射抜くこと。しかし攻撃的に何かに入っていくわけではない。この集中力は魂の不屈の意思、意志力からきているのだ。 何かの対象を使って集中を練習する場合には、その対象からすぐ喜びを得られるものを選ぶこと。あなたに師<マスター>がいるならマスターの写真からたちまち喜びを得られるはずだ。マスターがいなければ何かとても美しく、神聖で純粋な、例えば花のようなものを選ぶといい。 思考<マインド>の光を放つ一点集中の力で集中する… »

矢と弓-集中は矢で瞑想は弓

~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より 矢と弓 集中は矢で瞑想は弓 集中とは、何かテーマや物体にエネルギー全てを向け、その神秘のベールを剥がそうとすること。 瞑想は、限界ある意識からより高い意識へ行くこと。そこには静寂の広大さが君臨する。 集中はめがけていくその知識をとらえたい。瞑想は追求するその知識と一つになりたい。 集中は心の乱れを許さない、心の乱れとは集中の部隊本部に入って盗人だからだ。 だが瞑想はその盗人を中へと招き入れる。 何故? もちろん現行犯で逮捕するためだ。 集中は散りじりにおなってしまった意識を我に返るよう促す司令官。 集中と絶対に強固な意志 この二つは分かちがたいだけでなく、お互いを必要とする神聖な戦士。 集中は敵に決闘の挑戦をし、戦う。瞑想は、その静かな微笑みで敵の攻撃の威力を小さくする。… »

スピリチュアル・ハート——平安の住みか

~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より 幸せになりたいのかな? だったら マインドの力を過大評価せず ハートの光を過小評価しないこと ハートと魂 ハートで瞑想すると云うことは、魂がいる場所で瞑想すると云うことだ。確かに、魂の光と意識は体全体に広がってはいるが、魂には大体いつもいる場所と云うのがあり、それがハートの中なのだ。光を受け取りたいのなら、魂から受け取る必要がある。それはハートの中にあるのだ。何が欲しくて、どこに行けばそれがあるのか分かっているなら、そこへ行くのは当然のこと。さもなければまるで、金物屋に夕飯のおかずを買いに行くようなものだ。(笑) マインドから得られるものとハートから得られるものには、比べものにならないくらい差がある。マインドには限界があり、ハートには限界はないからだ。あなたの内側奥深くには無限の平安<ピース>・光明<ライト>・至福< ブリス>〉がある。限られた量のものを手に入れるのはたやすいことだ。マインドでの瞑想がそれにあたる。しかしハートで瞑想すれば、もっと限りなく、多くののものを得ることが出来る。仮にあなたが二つの会社で働くとする。一方では二百ドル稼ぎ、もう一方では五百ドルを稼ぐことが出来る。ちょっと考えれば、一方の会社で時間を無駄にすることスピリチュアル・ハートはないだろう? マインドに完全に頼っている限り、まずあなたは瞑想に失望してしまうことは見に見えている。マインドはすべてを複雑にし、あなたを混乱させてしまうからだ。普通の人は複雑なことが智恵だと思っているが、スピリチュアルな人は神がとてもシンプルだと云うことを知っている。複雑さではなく、シンプルさの中に本当の真実はあるものだ。 そうだからと云って、マインドがいつも悪者だと言っているわけではない。いつも悪者だとは限らないのだが、マインドには限界がある。マインドから得られるものは、せいぜいよくてインスピレーションなのだが、それ自体限界がある。真のアスピレーションを得るためには、ハートへ行かなければならない。アスピレーションはハートからやって来る。そこは魂の輝きがいつもあるところだからだ。ハートで瞑想すればアスピレーションを得るだけでなく、魂の無限の〈平安・光明・至福〉を得ることになり、あなたのアスピレーションは初めて満たされる。   Q: 瞑想中にスピリチュアル・ハートにたどり着くにはどうしたらよいのですか? A: スピリチュアル・ハートは胸部の真ん中にある。あなたが強力なアスピレーションがあるときには、スピリチュアル・ハートを感じることが出来るだろう。またそれは第三の目で見ることも出来る。スピリチュアル・ハートで瞑想するのが難しければ、心臓そのものに集中してもよい。しかし数ヶ月または一年ほど経つうちに、肉体の心臓の中には神聖な〈こハートころ〉があり、そして神聖なハートの中には魂<ソウル>があるのを感じることが出来るはずだ。これが感じられたら、スピリチュアル・ハートで瞑想を始めることが出来る。… »

頭を空っぽにする

~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より 時に静寂の中に身をおくことが必要だ と云うのも それこそが唯一の道なのだ もう少しよく知り もう少し賢く考え もう少し完璧になり もう少し早く、神を自分のものとするために 静かなマインド 思考<マインド>を静めるどの瞑想の道を選ぼうと、まず最も大切なことは、思考<マインド>を静かに落ち着かせることだ。あなたの中でいつも思考が忙しく動き回り、容赦ない諸々の考えの餌食になっているようなら、まず進歩はない。思考は常に静かに落ち着いていることが肝要なのだ。そうすれば、天から 光明が下りてくるのが分るようになる。意識して光明に気づき、受け入れることであなたは非常に深い瞑想に入ることが出来る。そしてあなたの人生は浄化され、変革され、明るく輝いてくる。 しかし、どうやれば思考を静かに落ち着かせることが出来る? 思考はそれ自体力をもっている。そして現在<いま>のあなたの中では、この力はあなたの瞑想したいと云う熱意や決意よりも強いのだ。しかしこハートころの助けを借りることが出来れば、徐々に思考をコントロール出来るようになる。こころは常に、光明とパワーで満ちあふれた魂ソウル から同じように助けをもらっている。… »

目を開けているか、閉じるか?

~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より 瞑想は神聖な贈り物だ瞑想はこの世での人生をシンプルにし、精スピリチュアルライフ神生活に活力を与えてくれる瞑想によって人生は、自然でのびのびしたものになるとにかく自然でのびのびし自分自身の神聖さを一息ごとに意識しないではいられなくなる 目を開けているか、閉じるか? 目を開けたまま瞑想したほうがいいのか、と聞かれることが多い。目をつぶって瞑想をすると、殆どの人たちはが眠ってしまう。五分ほどは瞑想をしても、後の十五分は眠りの世界に入ってしまうのだ。ダイナミックなエネルギーを得るのではなく、だるさ・自己満足・そしてある種の安らかで甘美な感覚を覚えるだけだ。 瞑想中に目をつぶり眠りの世界に入ると、様々な空想を楽しむことが出来る。あなたは持ち前の豊かな想像力で、より高い世界に入っていくのだと感じるかも知れない。実際、すばらしい瞑想をしているのだと思い込む方法はたくさんある。 だから、目は半分開き、半分閉じた状態でいるのが一番いい。このようにして、あなたは木の根元と最も高いこずえにある枝に同時にいることが出来る。目を半分開けている自分は、〈母なる地球〉を象徴する根元にいる。一方目を半分閉じている自分がいるのは一番高いところにある枝、ヴィジョンの世界、または〈天国〉と言える。あなたの意識は最高の高みにいると同時にこの地球上にもいて、世界を変革しようとしているのだ。 半眼の状態で瞑想するとき、これを「獅子の瞑想」と云う。こころの奥深くに行っている間も意識して、物質世界にも無意識の世界にも注意を払っていることが出来る。物質界の騒音と混乱、そして無意識界の眠りがあなたを呼んでいる。しかしあなたはそのどちらも乗り越えているところなのだ。「OK、僕の意識ははっきりしている。そちらの世界へ連れて行くことは出来ないんだよ。」とあなたは言っているのだ。目が半開きなので、眠りに落ちることはない。こうして無意識の世界に挑んでいるのだ。同時に周りで何が起こっているか見えているから物質界のコントロールも保つことが出来る。 ~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より リンク 質問:ベジタリアン  

瞑想を始める準備-基本をマスターする

~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より 準備がないと何も始まらない 何も始まらないと前進もない 前進がないとゴールもない そして ゴールがなければ 満足はない 瞑想を始める準備 家で瞑想する際には、瞑想のためだけに使う神聖な場所をつくり、 そこを完璧に純粋で清めること。そこに、自分のスピリチュアル・マスター、または仏陀やイエス・キリスト、あるいは自分が師と仰ぐ神聖な存在の写真や絵を飾るといい。このような場所をシュラインと云う。 瞑想を始める前に、シャワーを浴びるか風呂に入って身をきれいにしておくがいい。これはあなたの意識を浄化する助けになるからだ。シャワーを浴びることが出来なければ、少なくとも顔は洗うこと。そして、清潔で軽い服を着るのがいい。部屋に香を焚き、シュラインには花を生けておきなさい。香の香りがもたらすインスピレーションと浄化作用はほんのわずかかもしれない。しかしこのわずかなものがあなたの内面の宝物となる。瞑想中に目の前に花を置く必要はないと云う人たちもいる。「花はわれわれの内面にある。千枚の花びらを持つ蓮の花は私たちの中に咲いているのだ。」と云うのだ。しかしシュラインにある実物の花は、あなたの内側に咲く花を思い起こさせてくれる。その色、香り、純粋な意識があなたに霊感<インスピレーション>をもたらす。そしてこの霊 感<インスピレーション>から、心<アスピレーション>から神を求める気持ちが生まれてくるのだ。 瞑想中にろうそくを使うのも同じ理由だ。ろうそくの炎自体にはアスピレーションなどはない。しかしその燃えるな炎を見ることで、自分の内的存在のアスピレーションの炎が高く、何よりも高く昇ってゆくのを感じることが出来る。もし神を悟る直前か、もう神を悟ってしまっている者にとっては、このような外的なことには何の価値もない。しかし悟りへの道のりがまだ遥かなものと分かっていれば、花やろうそくが確実に、あなたのアスピレーションを高めてくれるのだ。 毎日の瞑想をするときは、必ず一人で行いなさい。但し、同じスピリチュアル・マスターを持つ夫婦の場合は例外だ。この場合、夫と妻は一緒に瞑想してもよい。それ以外は、毎日の個人の瞑想をほかの人とするのは勧めない。グループでする瞑想も大切だが、個人の日々の瞑想は、自分のシュラインに向かって、一人で行ったほうがよい。 瞑想は神聖な贈り物だ瞑想はこの世での人生をシンプルにし、精スピリチュアルライフ神生活に活力を与えてくれる瞑想によって人生は、自然でのびのびしたものになるとにかく自然でのびのびし自分自身の神聖さを一息ごとに意識しないではいられなくなる… »

質問:もっと人生に喜びが欲しいのです

~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より 魂のこもったこころが至高の真実を発見した。 神に瞑想するのは義務ではなく名誉なことなのだ。 Q: もっと人生に喜びが欲しいのです。けれどもだからといって、そのために瞑想に飛び込むだけの自信がありません。 A: 人生に喜びを感じていない、しかし喜びは欲しいと感じている。それはつまり、あなたがスピリチュアルなことに飢えていると云うことだ。スピリチュアルに飢えているなら、スピリチュアルな食べ物を食べることだ。 飢えていなければ食べないだろう? あなたはこれまで十五~二十年の間、スピリチュアルな生活を誠実に、あるいはは激しく求めてくることはなかった。あまりに長い間瞑想もしてこなかったから、スピリチュアルな海に急に飛び込んでも泳ぐことは出来ない。自分の性質をすぐに変えることは出来ないから、ゆっくりと一定のペースで、少しづつやるようにするといい。最初は水の中で動き回り、徐々に泳ぎ方を習うこと。そのうちうまく泳げる時がやってくる。しかしあなたにはもう内的に飢えがあるのだから、泳ぎ始める準備が出来ていると云うことだよ。 ~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より リンク 瞑想-まず始めに

集中-基本のテクニック

~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より 基本のテクニック ビギナーは、集中<コンセントレーション>から始めるのが一番良い。集中が出来ていないと、思考<マインド>を落ち着かせ静めようとした途端、数え切れないほどの欲しくもない考えが浮かん出来て、たった一秒でも瞑想することなど出来はしない。集中が出来れば、瞑想の妨げになる考えにその時点で対抗することが出来る。だから初めのうちは、ただ集中の練習を何分か行うこと。それを何週間か、何ヶ月かやってから、瞑想<メディテーション>をやるのがいい。 瞑想を始めるにあたっては、いつも自分は子供なのだと思うこと。子供のときは思考<マインド>が発達していないが、十二歳か十三歳になると、思考が知性のレベルで働き始める。けれどそれ以前の子供は、こころ<ハート>だけの存在だ。子供は自分は何も知らないと思っている。瞑想やスピリチュアル・ライフについての思い込みはまだなく、真っ白な状態から学びたいのだ。 まず自分は子供なのだと感じたら、次に花がたくさん咲いている庭にいると想像するといい。子供は庭で何時間でも遊ぶことが出来る。あの花の側へいったり、この花のところにやって来たり、なかなか庭から出ようとしない。一つ一つの花の美しさと香りが、喜びを与えているからだ。だからあなたの内側には庭があり、そこに好きなだけいられるのだと感じてみることだ。こうやってハートでおこなう瞑想を身につけることが出来る。 ハートに留まることが出来たら、内側からほとばしりでる叫びを感じ始めるだろう。この内側からの叫び、つまりアスピレーションが瞑想の秘訣なのだ。大人が泣き叫ぶとき、それは必ずしも誠実なものではないが、子供が泣き叫ぶとき、たとえ飴玉一個がほしくて泣いているのだとしても、それはとても誠実なものなのだ。その時飴玉は、この子供にとっては世界のすべてなのだ。飴玉の代わりに百ドルあげたとしても、子供は決して満足しない。ただ飴玉がほしいのだから。子供が泣けば、父親か母親がすぐ飛んでくるように、あなたが心の奥深くから、平安<ピース>・光明<ライト>・真実<トゥルース>を求めて叫び、ほかの何ものもあなたを満たすことが出来ないならば、永遠の父・永遠の母である神は必ずやってきて、助けてくれる。 だから、いつも自分は子供のように無力なのだと思ってみるがいい。自分では何も出来ないと感じたら、すぐに、誰かが助けに来てくれる。子供が道に迷って泣き出したら、親切な人がやって来て、家がどこにあるか教えてくれる。あなたも道に迷ったのだと思ってみるがいい。それは丁度ひどい嵐のようなものだ。〈疑い・恐れ・不安・心配・自信のなさ〉といった神聖でない力がふりかかってくる。しかし心の底から泣き叫べば誰かがやって来て、どうやればあなたの家であるこころ<ハート>に帰れるか教えてくれるだろう。その〈誰か〉とは誰だろう?それが神<スープリーム>、あなたの内なる導き手<インナーパイロット>なのだ。 朝早く あなたの友、真の友、唯一の友である神を招き入れるがいい その日一日を一緒に歩いてくれるように ~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より リンク 質問:もっと人生に喜びが欲しいのです

瞑想-まず始めに

~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より  スピリチュアルな観点から言えば 神の探求者はすべて初<ビギナー>心者だ 止むことなく常に前進したいと思った瞬間に 永遠のビギナーとなる まず始めに スピリチュアルな観点から言えば、神の探求者はすべて初<ビギナー>心者だ。ビギナーとは、絶えず、もっと神聖なもの、もっと光り輝くもの、もっと満ち足りたものになっていきたい、と云う内的な渇望を持った人のこと。止むことなく常に前進したい、自分自身を超え、絶えず超越し続ける〈彼方〉に入っていきたいと思った瞬間から、あなたは永遠のビギナーとなる。 もしあなたがまったくのビギナーなら、スピリチュアルな本かあるいは聖典を何冊か読むことから始めてみるのがいい。そこでインスピレーションを得ることが出来るからだ。自分の信頼出来る霊性の師<スピリチュアルマスター>の本を読みなさい。最高の意識の高みに到達した師<マスター>は確かに存在する。 この人たちが書いた本を読めば、必ずインスピレーションがもらえるはずだ。反対に、大学教授や学者、まだ光明を受けていない成アスピラント 長を熱望している人などが書いた本は、勧めない。〈真実〉を悟った者だけが〈真実〉を示す力があるからだ。さもなければ、盲目の人が盲目の人を導いているようなものだ。 またすでに瞑想をある程度経験してきた人たちと交流するのもいい。彼らはあなたを教える立場にはないかもしれないが、インスピレーションをもらうことは出来る。その人たちが瞑想している間ただ脇に座っているだけでも、あなたの内面の存在は、無意識のうちに瞑想する力を得ることになる。別に何かを盗っているわけではない。意識的にはわからなくても、内面の存在がその人たちに助けてもらっていると云うことだ。 始めは瞑想と云うことも考えなくていい。ただ、一日のうち決まった時間を設け、自分を落ち着かせ、静かにする時間を持つこと。そしてこの時間は他の誰のものでもなく、自分自身の内面の存在のためのものなのだと思ってみなさい。規則的に行うことが最も大切だ。決まった時間に一定の練<プラクティス>習をする必要があるのだ。 毎日学ぶべきことはたった一つ どうしたら心から幸せでいられるか、と云うこと… »

なぜ瞑想するのだろうか?

~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より それは、この世界がわれわれを満たすことが出来ないから・・ 日常生活で、いわゆる平安<ピース>と呼ばれているものは、どこまでも続く不安・心配・失望 の果てにおとずれる、わずかひとときの平穏にすぎない。われわれは常に、嫉妬・恐れ・猜疑心・心配・不安・絶望といった否定的<ネガティブ>な力に囲まれ、そのなすがままになっている。この否定的<ネガティブ>な力は、言わば猿のようなものだ。「猿がかみつくのに疲れて、つかの間の休息をとっているその間こそが平穏でいられる」と云うわけだ。しかしこれは真の平安とは全く違う。次の瞬間にはまた猿に攻撃されてしまうのだから・・・ ずっと続く平安、神聖な平安は瞑想を通して初めて手に入れることが出来る。朝、こころをこめて瞑想し、一分でも平安を受け取ったならば、その平安はその日一日あなたを満たしてくれる。そして最もレベルの高い瞑想をすると、本当にゆるぎない平安<ピース>・光明<ライト>・歓び<ディライト>を得ることが出来る。 瞑想が必要なのは、人が光明<ライト>の中で成長し、自分自身を満たすためだ。あなたにこう云う強い真アスピレーション実を希求する思いと心の渇きがあるのなら、瞑想をする以外に道はない。もしあなたが、現いま在持っているものと現在の自分に満足しているのであれば、瞑想をする必要はない。瞑想を始めるのは、内インナーハンガー的な飢えがあるからなのだ。自分の中に何か光り輝くもの、何か広大なもの、何か神聖なものが在るのを感じている・・・ その何かが絶対に必要なのだ。しかしそれをどうやって手に入れたらいい? 今のあなたにはまだわからない。なぜなら内インナーハンガー的な飢えと云うのは霊スピリチュアル的な必要性から来るものだから。 瞑想は逃避ではない もしこの世界から逃げ出して、苦しみを忘れるために瞑想の生活に入るのなら、それはまちがっている。この世における生活の失望や不満といった理由で精スピリチュアルライフ神生活を選ぶのであれば、それは長続きはすることはまずない。なぜなら、今日は欲望を満たすことが出来ずにこの世の中に不満をおぼえたとしても、明日になればきっととあなたはこう云う。「もう一度やってみるさ、今度はきっと上手くいくにちがいない。」 でもあなたはやがてわかってくる。欲望の人生に満足は決してありえないことを。そしてあなたはやがて、精神的な生活へ入ってゆく必要性を感じ始めることになる。 瞑想とは何だろう? 瞑想とは人間の自己覚醒であり、神が自らを捧げること この二つが出会うとき、… »

シュリ・チンモイと日本

シュリ・チンモイは大変な親日家で、生前日本を18回訪れました。 日本に来ると毎日詩心が鼓舞される、と日本や日本人についていくつも詩を書いています。 その中で日本を「忠実と優美の地 (Beauty’s Land, Duty’s Hand)」、「魂の花園(A Soulful Flower Garden)」などと描写し、その高い精神性を称えています。ここでは、シュリ・チンモイが1969年に初来日した際遭遇した出来事をつづった詩をご紹介します。 日本のお巡りさん 私は笑みを浮かべて そのお巡りさんに聞いたのです 「毎日デイリー・ニュースを何処かで買いたいのですが」 その若い交通巡査は 彼の職務を暫し中断して なんと私の新聞を買いに行ってしまったのです… »