~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より


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時に静寂の中に身をおくことが必要だ
と云うのも
それこそが唯一の道なのだ
もう少しよく知り
もう少し賢く考え
もう少し完璧になり
もう少し早く、神を自分のものとするために

静かなマインド

思考<マインド>を静めるどの瞑想の道を選ぼうと、まず最も大切なことは、思考<マインド>を静かに落ち着かせることだ。あなたの中でいつも思考が忙しく動き回り、容赦ない諸々の考えの餌食になっているようなら、まず進歩はない。思考は常に静かに落ち着いていることが肝要なのだ。そうすれば、天から
光明が下りてくるのが分るようになる。意識して光明に気づき、受け入れることであなたは非常に深い瞑想に入ることが出来る。そしてあなたの人生は浄化され、変革され、明るく輝いてくる。

しかし、どうやれば思考を静かに落ち着かせることが出来る?

思考はそれ自体力をもっている。そして現在<いま>のあなたの中では、この力はあなたの瞑想したいと云う熱意や決意よりも強いのだ。しかしこハートころの助けを借りることが出来れば、徐々に思考をコントロール出来るようになる。こころは常に、光明とパワーで満ちあふれた魂ソウル
から同じように助けをもらっている。

sri-chinmoy-manos-corazon頭<マインド>を空っぽにする

あなたがたの中には頭<マインド>が空っぽになってしまうと、頭がおかしくなって気が狂ったように振舞うのではないかと思う人がいるかもしれないが、そんなことはない! 十分か十五分でも思<マインド>考を静め落ち着かせることが出来れば、あなたの内側に新しい世界が開けてくる。そしてこれがあなたの霊性が進歩してゆく上でのあらゆる元となる。現在<いま>のあなたは、まだ思<マインド>考をほんの数秒か、せいぜい一分ぐらいなら静めることが出来ないかも知れない。でもその静けさ、落ち着き、平安を三十分、いや十五分でも保つことが出来るなら、その平安の中に、途方もない神聖な光明とパワーをもった、新しい世界が育ってゆくことはまちがいない。

頭に何の考えも浮かんでこないとき、困ったことになったとは思ってはいけないよ。それどころか、何か神聖なものが、あなたの純粋で真実を熱望している部分で育っているのだと感じること。だがすぐに結果を期待してはいけない。農夫は種をまき、そして待つ。すぐ作物が実ることを彼は期待しているだろうか? 芽がでるまでは数週間か数ヶ月は必要なことくらい子供でも知っている。これと同じように、あなたのマインドは、豊かな土地に例えることが出来る。静寂と平穏と云う種をまき、辛抱強く耕して行けば、遅かれ早かれ、必ず光明と云う大豊作を収穫出来ることなる。

瞑想に思考<マインド>は必要ない。思考と瞑想は全く違うものだ。瞑想するときは全く思考はなくなってしまう。瞑想の目的は全ての考えから自分を解放することなのだ。考えと云うのはちょうど黒板についた点のようなもので、良きにせよ悪しきにせよそこにある。考えが全くなくなってしまった時、初めて、至高の真実になっていくことが出来るのだ。

非常に深い瞑想でも、考えが浮かんでくることはあるが、最も高く深いレベルの瞑想では、そんなことはおこりえない。至高の瞑想では、ただそこに光明があるだけなのだ。

ゆっくりと、しかも確実に、落ち着きのない思考を静めることが出来たなら、

神は、喜んで

ただちにその計り知れなく大きなハートを開いてくれる。

DSC_3891思考<マインド>を超えて

光明の中ではヴィジョンと実<リアリティ>在は一つだ。あなたはそこに座り、私はここに立っている。私をヴィジョン、あなたを現実とする。あなたを知りたかったら、私はあなたを見、あなたの中に入っていかねばならない。しかし至高の瞑想では、現実とヴィジョンは一つなのだ。

あなたが在るところに私も在る。そして私が在るところにはあなたが在る。
われわれは一つなのだ。だから、至高の瞑想では考えはいらない。
至高の瞑想においては知る者と知るべき物は一つになるのだ。

静かに内側を見つめて考える、内省と呼ばれるものでさえ、規律をもって行われる瞑想の広大さとは比べものにならない。考え始めた瞬間に、限界や束縛と戯れることになってしまう。現在<いま>、どんなに甘美で美味な考えであろうと、それは最終的には痛みを伴い、破壊的なものとなってしまう。なぜなら、それはわれわれを制限し、縛るものだからだ。思<マインド>考に現実は存在しない。なぜならそれは毎秒毎秒世界を作り上げては、次の瞬間にそれを壊しているからだ。思考にもそれなりの役割はある、しかしスピリチュアル・ライフにおいては、思考を遥かに超えた永遠の平安、永遠の叡知、永遠の光明があるところに行く必要がある。アスピレーションと瞑想に助けられて思考を超えたその時、初めて神の〈実リアリティ在〉と神の〈ヴィジョン〉を同時に見、楽しむことが出来る。

~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より

 

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