~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より


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瞑想の道の果実

ゴールに通じる道はたくさんある。ある道は美しい花が道の両側にいくつも咲いていて、二本目の道は幾輪か咲いているだけ、そして三本目の道は一輪も咲いていないかも知れない。もし三人の求道者<シーカー>が自分の魂の必要とするものと好みに合わせて、それぞれの道を行くなら、最終的には全員がゴールに到達する。しかし、旅路の途中ではかなり違う経験をすることになる。

経験の一つ一つが悟りへの一歩となる。一つ一つの経験が自分への自信を高めてくれる。一つ経験するたびにあなたは励まされ、活力を得、さらに遠くまで進もうと心が燃え立つ。そして、すばらしい歓びさえ得ることが出来る。そのような経験をしている間、あなたは、ゴールに向かって背中を押してくれる目に見えない導き手を自分の中に感じることだろう。〈ゴール〉と呼ぶ果実を得る前に、あなたはいろいろな種類の実をたくさん味見したいと思うかも知れないね。しかしゴールという果実を口にして初めて、完全な満足を得ることが出来る。シーカーの中には、神を悟るという果実以外は、何もいらないと感じる者もいる。その人たちにとって、いわゆるスピリチュアルな経験というのは全く必要ない。もしあなたに非常に早く走れる力があるなら、神を悟る前に何千という経験をする必要は全くない。神になっていく過程で広がっていく意識それ自体が、しっかりとした経験以外の何ものでもないからだ。

内的経験をしても、その経験が本物なのかどうかわからない時があるかも知れない。しかしこれは、あなたにマスターがいない場合にのみ生じる問題なのだ。もしマスターがいるなら、それが実りある内的経験なのか、それとも自分自身を欺いているだけなのか、すぐに教えてもらうことが出来る。スピリチュアル・マスターなら疑いも躊躇もなく簡単にわかるからだ。

pink-rose-400x240もしあなたにマスターがいなくても、この問題を解決することは出来る。ただひとえに、スピリチュアル・ハートに集中することだ。もしあなたの経験が本物なら、まるでハートに蟻が這い回っているかのような微かすかかな感覚を覚えるはずだ。 あなたの経験が本物かどうか見分けるには他の方法もある。出来るだけゆっくり、そして静かに息を吸い込んでごらん。そして自分の中に純粋さを取り込んでいるのだと思うこと。純粋さが糸のようにあなたの中に入ってきて、臍のチャクラの周りに巻きついていくのが感じられるはずだ。その時自分の経験に集中し、もしあなたのスピリチュアル・ハートが臍のチャクラに入っていこうとしないのなら、この経験は単に幻想にすぎないことがわかる。しかし、もしハートが喜んで臍のチャクラの中に入っていくのなら、その経験は絶対に正しく紛れもない本物だと保証する。

または、何か経験をしている最中に、その経験そのものになっていけるかどうか、ニ~三分ほど試してみるといい。その経験そのものになっていくのが、時間の問題だと感じるようなら、その経験は本物だ。しかし、もし、現実は別のところにあって、その経験そのものになっていくことは決して出来ないと思われるようなら、それは偽者だ。
ある経験をしている時に、内インナーライフ的生活と外的生活<アウターライフ>を分けてみるといい。外的生活は人間として必要なこと、この世で必須とされることだ。内的生活はやはり必要な生活だが、これは神にとって必要なのであって、あなたが必要としていることではない。神にとって必須のことなのであって、あなたにとっての必須ではない。だから、神が必要としていることが、あなたの経験の中であなたの経験を通して機能しているのか感じて見ることだ。神があなたの中であなたを通して御自分を満たす必要があり、またそうしたいと思っておられるのを感じて見るのだ。

このような感覚、または悟りがあるのなら、あなたの経験は本物だと言える。真の経験というのは、あなたが誠実に内的生活を欲し、必要としたとき、そして神があなたの中であなたを通して内的生活を必要とし、欲した時にのみ得られるものだ。このような理解に達したなら、あなたの経験はすべて本物だ。紛れもなく本物なのだよ。

flower-of-light3思考<マインド>を浄化する

思考<マインド>はほとんどいつも純粋ではなく、上向きでない考えを持ってくる。ただでさえマインドは猜疑心、嫉妬心、偽善、恐怖心など神聖でない資質の餌食になっている。否ネガティブ定的なものはすべてまずマインドを攻撃する。ほんのちょっとの間そう云う考えを遠ざけることが出来たとしても、また同じものがマインドの扉をノックする。マインドとはそう云うものなのだ。それに対し、こころ<ハート>はもっとはるかに純粋だ。優しい気持ち、愛、献身、明け渡しなどの神聖な資質がすでにハートにはある。だからハートはマインドよりずっと純粋なのだ。たとえ恐怖心や嫉妬心がハートにあったとしても、ハートが持つ良い資質が前面に出てくる。

しかしそうはいっても生バイタル 命エネルギーが近くにある以上、ハートは完全に純粋ではないかもしれない。へマニプラチャクラそあたりにある下位の生バイタル 命エネルギーが上ってきては、ハートの中心に触っていく傾向があるからだ。バイタルの影響を受けてハートが純粋でなくなってしまうことがある、しかし少なくともハートはマインドとは違う。マインドは煩悩に自ら扉を開け放してしまうものだからだ。 ハートはマインドよりずっと良い存在だが、最もすぐれているのは魂<ソウル>だ。なぜなら魂は、純粋さ、光明、至福、神聖さだけで出来ている存在だからだ。

lotus-100x150練習 – 受容力のある場所 – (アジナチャクラ)

受容力をすぐに得る一つの方法は、出来るだけ早く何度も何度も〈スープリーム〉と心の中で繰り返すことだ。そのためには、まず体の中で一つ場所を選ぶことが必要だ。例えばそれを第三の目<アジナチャクラ>にして見よう。そして、その場所に意識を保ちながら、〈スープリーム〉とできるだけ早く繰り返してごらん。それから今度は別の場所を選び、同じようにやってみる。体の上部から下部へ行く方が下部から上部へ向かうよりも望ましい。集中する場所はエネルギーの中心(チャクラ)でなくてもかまわない。どこでも自分の好きな場所でいい。自分の体の中から七ヵ所選んでこれができたら、受容力がある場所がどこか一か所は絶対に見つかるだろう。

~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より

Places of concentration in meditation (チャクラ)

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