2019年5月西 東京市でメディテーションワークショップ

クラスのお知らせ

2019年5月28日〜6月6日の期間に西東京市でブラジルからアシルバードさんを招いてメディテーションワークショップ4回コースがあります。
全クラス無料です。不定期のクラスですのでぜひこの機会にお越しください。
クラスは英語で行われますが通訳があります。詳細をお知りになりたい方は、ご連絡先電話番号をメッセージボックスに記入してください。

折り返しこちらからご連絡いたします。
Ashirvad from Brazil is going to have 4 classes in Tanashi, Tokyo in May 28 to June 6. Free. Please leave your phone number and we will call you. We will have classes in English and Japanese translation.

アシルバード:シュリ・チンモイに師事して20年。瞑想のクラスを世界各国で行っています。10回目以上来日しています。
Ashirvad has been leaning meditation for more than 20 years under the guidance of Sri Chinmoy.  He has been doing classes in around the world. He has been in Japan more than 10 times.

シュリ・チンモイへの推薦のことば

「本当にたくさんの国で、世界平和のため、人のためになさっている良いお仕事をとても嬉しく思います。神の栄光と、人のために、これからも共に働き、分かち合ってゆきましょう。」マザー・テレサ
「貴方の愛に溢れた心と、深い叡智を限りなく敬愛しております。」ミハイル・ゴルバチョフ元ソビエト連邦大統領
「貴方がなさっていることは、人類全体、世界全体のためになることです。」ネルソン・マンデラ元南アフリカ大統領
「あなたの世界平和と人類共存のための多大な御貢献についてもう一度言わせて下さい。
このような活動は世界中の政治活動にとって、誇りとインスピレーションの源です。人類を向上させるためにあなたがなさっていることに心からお礼申し上げます。」ハビエル・ペレス・デクエヤル元国連事務総長
「シュリ・チンモイ、あなたは私たちみんなの励みです。」カール・ルイス

瞑想のためのアフォリズム

 

魂から祈り

自分を捧げて瞑想するたびに

主スープリームが花咲いていくのが見える

私のハートの中で

美しく光を放ちながら

〜シュリ・チンモイ著「神は…」より

 

神と心を通わせるため

人には静寂な瞑想がある

人と心を通わせるため

神には本当に必要な<平和>がある

〜シュリ・チンモイ著「神は…」より

 

瞑想が教えてくれることはただひとつ―神は存在する。

瞑想が示してくれる真実はただひとつ―神のビジョンは私達のものだ。

〜シュリ・チンモイ著「瞑想」より

 

瞑想とは何だろう。

瞑想とは人間の自己覚醒であり

神が自らを捧げることだ。

この二つが出会うとき

人間は内的世界で不滅となり

神は外的世界で満たされる。

〜シュリ・チンモイ著「瞑想」より

 

瞑想は神の言語だ。

自分の人生で神の意志が何であるのか

知りたいですか。

神に自分を導き

形づくり

自分の中で自分を通して神自身を満たしてもらいたいですか。

それなら瞑想という言語を使わなくてはならない

〜シュリ・チンモイ著「瞑想」より

*

瞑想は神聖な贈り物だ。

瞑想は外面の人生をシンプルにし

内面の人生に活力を与えてくれる。

瞑想によって人生は

自然でのびのびしたものになる。

とにかく自然でのびのびし

自分自身の神聖さを一息ごとに意識しないではいられなくなる。

〜シュリ・チンモイ著「瞑想」より

 

魂のこもったこころが至高の真実を発見した。

神に瞑想するのは

義務ではなく名誉なこと。

〜シュリ・チンモイ著「瞑想」より

*

<ゴール>に到達したい

だから集中する

<ゴール>のハートの中で生きてみたい

だから瞑想する

<ゴール>そのものになりたい

だから観想する

〜シュリ・チンモイ著「瞑想」より

瞑想は実用的か

meditation class in tokyo 瞑想 東京 ワークショップ正しい時に正しいことができる人を、実用的な人といいます。そのような人の外的な生活はとてもうまくいきます。しかし、どんなに賢くても、どんなに気をつ けていても、途方に暮れるときが誰にでもあります。どう言ったらいいのか、何をしたらいいのか分からない時や、正しいことを言ったり、したりしているにも かかわらず、すべてのことがうまく行かなくなってしまうことがあります。人生をコントロールできなくなるのです。心から何かをやりたいし、何かになりた い、でも、できない。
なぜこんなことが起こるのでしょうか?それは、外的な能力というものが、内的な〈気づき〉に常に左右されるからです。内的な生活で実用的であれ ば、すなわち祈りや瞑想をしていれば、内的な〈気づき〉を増やすことができます。内的な〈気づき〉があれば、永遠の真実や、終わりのない喜びに自由にアク セスでき、外的な生活もコントロールできるようになるのです。
わたしたちは常に、外側からではなく内側から成長します。植物は土の中の種から成長するのであって、その逆はありません。内的な生活は、常に《真 実》と神のメッセージを携えています。この内面の《真実》は種です。この種を発芽させて苗ができ、さらに木となれば、その木になった実を食べることができ ます。そして実を食べながら、この実は外的な世界に存在するものだけれど、源は内面の世界から来たものだと分かります。このように、内的な世界での受容 力、または能力が、外面の世界に表れてくるのが分かります。
瞑想   ただ単に外的な世界で、どんなに長い間働いても、話をしても、何をしようと、《真実》に近づくことはできません。まず瞑想して、それから話し、行動 して初めて、実用的なことをすることができるのです。内面の世界での実用性は、外的な人生を導いていきます。その逆はありません。外的な人生における命の 息吹は、内的な生活から来たものでなければなりません。このようにしてこそ、本当に実用的になれるのです。
勇気を持って内的な生活に入ってみれば、内的な生活は実用的であり、現実的であり、自然であることがわかるでしょう。愛、光、平和、喜び、というも のは神聖であり、まったく正常なことなのです。内的な世界が提供してくれるものを、外的な世界に持ってくることができれば、外的な世界も神聖で、正常で、 実用的で、満足いくものとなるのです。
-シュリ・チンモイ・喜びの翼 P25〜

 

瞑想の道の果実とチャクラ


~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より


JAC_1178

瞑想の道の果実

ゴールに通じる道はたくさんある。ある道は美しい花が道の両側にいくつも咲いていて、二本目の道は幾輪か咲いているだけ、そして三本目の道は一輪も咲いていないかも知れない。もし三人の求道者<シーカー>が自分の魂の必要とするものと好みに合わせて、それぞれの道を行くなら、最終的には全員がゴールに到達する。しかし、旅路の途中ではかなり違う経験をすることになる。

経験の一つ一つが悟りへの一歩となる。一つ一つの経験が自分への自信を高めてくれる。一つ経験するたびにあなたは励まされ、活力を得、さらに遠くまで進もうと心が燃え立つ。そして、すばらしい歓びさえ得ることが出来る。そのような経験をしている間、あなたは、ゴールに向かって背中を押してくれる目に見えない導き手を自分の中に感じることだろう。〈ゴール〉と呼ぶ果実を得る前に、あなたはいろいろな種類の実をたくさん味見したいと思うかも知れないね。しかしゴールという果実を口にして初めて、完全な満足を得ることが出来る。シーカーの中には、神を悟るという果実以外は、何もいらないと感じる者もいる。その人たちにとって、いわゆるスピリチュアルな経験というのは全く必要ない。もしあなたに非常に早く走れる力があるなら、神を悟る前に何千という経験をする必要は全くない。神になっていく過程で広がっていく意識それ自体が、しっかりとした経験以外の何ものでもないからだ。

内的経験をしても、その経験が本物なのかどうかわからない時があるかも知れない。しかしこれは、あなたにマスターがいない場合にのみ生じる問題なのだ。もしマスターがいるなら、それが実りある内的経験なのか、それとも自分自身を欺いているだけなのか、すぐに教えてもらうことが出来る。スピリチュアル・マスターなら疑いも躊躇もなく簡単にわかるからだ。

pink-rose-400x240もしあなたにマスターがいなくても、この問題を解決することは出来る。ただひとえに、スピリチュアル・ハートに集中することだ。もしあなたの経験が本物なら、まるでハートに蟻が這い回っているかのような微かすかかな感覚を覚えるはずだ。 あなたの経験が本物かどうか見分けるには他の方法もある。出来るだけゆっくり、そして静かに息を吸い込んでごらん。そして自分の中に純粋さを取り込んでいるのだと思うこと。純粋さが糸のようにあなたの中に入ってきて、臍のチャクラの周りに巻きついていくのが感じられるはずだ。その時自分の経験に集中し、もしあなたのスピリチュアル・ハートが臍のチャクラに入っていこうとしないのなら、この経験は単に幻想にすぎないことがわかる。しかし、もしハートが喜んで臍のチャクラの中に入っていくのなら、その経験は絶対に正しく紛れもない本物だと保証する。

または、何か経験をしている最中に、その経験そのものになっていけるかどうか、ニ~三分ほど試してみるといい。その経験そのものになっていくのが、時間の問題だと感じるようなら、その経験は本物だ。しかし、もし、現実は別のところにあって、その経験そのものになっていくことは決して出来ないと思われるようなら、それは偽者だ。
ある経験をしている時に、内インナーライフ的生活と外的生活<アウターライフ>を分けてみるといい。外的生活は人間として必要なこと、この世で必須とされることだ。内的生活はやはり必要な生活だが、これは神にとって必要なのであって、あなたが必要としていることではない。神にとって必須のことなのであって、あなたにとっての必須ではない。だから、神が必要としていることが、あなたの経験の中であなたの経験を通して機能しているのか感じて見ることだ。神があなたの中であなたを通して御自分を満たす必要があり、またそうしたいと思っておられるのを感じて見るのだ。

このような感覚、または悟りがあるのなら、あなたの経験は本物だと言える。真の経験というのは、あなたが誠実に内的生活を欲し、必要としたとき、そして神があなたの中であなたを通して内的生活を必要とし、欲した時にのみ得られるものだ。このような理解に達したなら、あなたの経験はすべて本物だ。紛れもなく本物なのだよ。

flower-of-light3思考<マインド>を浄化する

思考<マインド>はほとんどいつも純粋ではなく、上向きでない考えを持ってくる。ただでさえマインドは猜疑心、嫉妬心、偽善、恐怖心など神聖でない資質の餌食になっている。否ネガティブ定的なものはすべてまずマインドを攻撃する。ほんのちょっとの間そう云う考えを遠ざけることが出来たとしても、また同じものがマインドの扉をノックする。マインドとはそう云うものなのだ。それに対し、こころ<ハート>はもっとはるかに純粋だ。優しい気持ち、愛、献身、明け渡しなどの神聖な資質がすでにハートにはある。だからハートはマインドよりずっと純粋なのだ。たとえ恐怖心や嫉妬心がハートにあったとしても、ハートが持つ良い資質が前面に出てくる。

しかしそうはいっても生バイタル 命エネルギーが近くにある以上、ハートは完全に純粋ではないかもしれない。へマニプラチャクラそあたりにある下位の生バイタル 命エネルギーが上ってきては、ハートの中心に触っていく傾向があるからだ。バイタルの影響を受けてハートが純粋でなくなってしまうことがある、しかし少なくともハートはマインドとは違う。マインドは煩悩に自ら扉を開け放してしまうものだからだ。 ハートはマインドよりずっと良い存在だが、最もすぐれているのは魂<ソウル>だ。なぜなら魂は、純粋さ、光明、至福、神聖さだけで出来ている存在だからだ。

lotus-100x150練習 – 受容力のある場所 – (アジナチャクラ)

受容力をすぐに得る一つの方法は、出来るだけ早く何度も何度も〈スープリーム〉と心の中で繰り返すことだ。そのためには、まず体の中で一つ場所を選ぶことが必要だ。例えばそれを第三の目<アジナチャクラ>にして見よう。そして、その場所に意識を保ちながら、〈スープリーム〉とできるだけ早く繰り返してごらん。それから今度は別の場所を選び、同じようにやってみる。体の上部から下部へ行く方が下部から上部へ向かうよりも望ましい。集中する場所はエネルギーの中心(チャクラ)でなくてもかまわない。どこでも自分の好きな場所でいい。自分の体の中から七ヵ所選んでこれができたら、受容力がある場所がどこか一か所は絶対に見つかるだろう。

~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より

Places of concentration in meditation (チャクラ)

Play video

2015年3月 ゲスト講師の瞑想クラス・鷺宮・中野・練馬・新宿の近辺

site-patangaPatanga Cordeiro [パタンガコルデイロ]

ブラジル生まれ。シュリ・チンモイに師事し瞑想を学んで11年。瞑想ワークショップを行って 9年になる。ウルトラマラソンを走るのが大好きです。今回が1度目の来日。クラスでは通訳が付きます。

  • 瞑想クラス・鷺宮・中野・練馬・新宿の近辺

お問い合わせ

 くわしくは070-5021-0827または

~ お問い合わせフォームでどうぞ

 

lecturemeditation

Sri Chinmoy’s Messages for Japan

Some of Sri Chinmoy’s messages, poetry and comments on Japan, from Sri Chinmoy Library:

Message for Japan

Japan is the land of infinite beauty, and this beauty is expressed through inner peace. Man has seen many things. Of the many things that man has seen, peace is new; and Japan is offering this new thing to the world.

Kyoto, January 7, 1986

Salutation to Japan

Japan is the land of beauty. This beauty is not something that man has created. It is something that God Himself is, and that God Himself has. What God Himself is, and what God Himself has, in one form is beauty. This beauty is revealing itself through the body, vital, mind, heart and soul of Japan.

Sri-Chinmoy-KamakuraWhen we think of Japan, when we pray for Japan, when we meditate on Japan, we see a very, very special quality of our Lord Supreme. This unique quality is His self-expression and revelation of His own Infinity in and through His finite, little self. God is infinite. He is vaster than the vastest. Far beyond our imagination is His vastness. But again, He can reveal Himself through the finite, smaller than the smallest. This unique quality and capacity of His can be found only in Japan. It is not nature’s beauty in Japan-though that has its own value-but it is the inner beauty, inner softness, sweetness, tenderness, purity and humility of Japan that have pleased God the Creator most powerfully.Inner beauty is your birthright. This inner beauty God, our Beloved Supreme, cherishes. He is fond of your inner beauty and proud of your outer beauty. Your inner beauty is your heart’s sleepless cry for God. Your outer beauty is your willingness and eagerness to serve God the creation.

In the East, the sun rises in Japan. The inner sun will also rise here sooner than the soonest to illumine the East, to illumine the West and to illumine the whole world.

This salutation to Japan was offered by Sri Chinmoy on 27 September 1987 in Kyoto.

Sri Chinmoy, Japan: soul-beauty’s heart-garden, Agni Press, 1993

Mu Magazine: Finally, if you have any message for the people of Japan, could you share it with us?

Sri Chinmoy: Japan is a country filled with infinite beauty. It has an image of a beautiful flower garden. This beauty is expressed through inner peace. Man has seen many things, but of these things peace is new. Japan is offering this new treasure to the world.

Japan has some other very special capacities to offer. Japan produces such small, beautiful things. God is infinite and finite-larger than the largest and smaller than the smallest. He is both the ocean and the drop. He is inside me as a human being and, again, He is inside the vast sky and ocean. In Japan I see God the Creator in His small aspect, but at the same time, so beautiful and powerful. Here I see the finite expressing the Beauty and Divinity of God in such a powerful way, and I am deeply impressed. It is like the difference between seeing a child do something and a grown-up do it. When the child does it, I get much more joy. In Japan’s case, the child is Japan’s childlike flower-consciousness-a beautiful flower is reaching the highest in terms of beauty and purity. As soon as I think of Japan, my mind feels beauty, my heart feels purity and my life feels humility. I could write hundreds and hundreds of poems about Japan. In fact, I have already written them in the depths of my gratitude-heart.

During this trip I feel that I received more than I offered. I tried to give a little peace to the hearts of my Japanese brothers and sisters, and they gave me their love-which is so deep and profound. I am grateful to you for asking me such wonderful and important questions today.

ウパニシャッドの一つは瞑想には…、オーラ…、魂が体から出て…


~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より


我が魂は
人生の闘いを超え
無限を飛んでゆく火の鳥

 

Blumen-2

ウパニシャッドの一つは、瞑想には三種類あると述べている。低いレベルの瞑想、微細な瞑想、そして超越瞑想だ。あなたの経験の場合は、このうちの最初の段階で起こっている。非常に高い瞑想をしているにもかかわらず、あなたは自分全体の存在がそこにあるとは感じられないのだ。霊的な意識においては非常に高い瞑想をしているのですが、完全に実りのあるものではない。なぜなら内的家族のメンバー全員が参加してはいないからだ。

第二段階の瞑想では、自分の意識を完全に認識し、その中でその意識と完全に一つになる。今はただ〈意識〉という言葉を使っているが、この段階になると、実際に意識が何なのか見えて、感じられるようになる。一瞬一瞬に、自分の中にある聖なる光の一筋、そしてすべてに行きわたる光が見えるようになる。この光が〈至高なるもの〉とあなたを結んでいるのだ。この瞑想の段階では、あなたは地球と天国をつなぐ存在になる。

第三段階の最も高い瞑想は、超越瞑想だ。この段階では自分自身を〈瞑想する者〉と〈瞑想それ自体〉の両方として感じ、または見ることが出来る。この段階では見るものと見られるものが一つになる。これが起こるのは最高の〈超越の意識〉においてだけなのだ。それは、〈誘惑・フラストレーション・不安・恐れ・嫉妬・失敗〉といった自然の舞を超えたところにある。しかしだからといって、低いレベルの瞑想では自分なりの最も深い瞑想には入れないということはないのだよ。入ることは出来ても、その最高に深い瞑想を享受しているのはハートと魂だけで、ボディ、バイタル、マインドは享受してはいない。だからこのレベルの瞑想を低いレベルの瞑想と呼んでいるのだ。

Q: 魂が体から出てしまったという経験を瞑想中に一度したのですが。

A: 瞑想中に魂が体から出るということはある。場合によっては魂が本当にパワフルに前面に出てきて、身体の意識がなくなってしまうか覆い隠されてしまうか、または魂の光によって完全に光が当てられ、変革されてしまうのだ。

Q: 瞑想中に見えるオーラについてお話し下さいますか?

A: 人間は誰でもオーラがある。瞑想中に自分のオーラが見えるかも知れないが、集中している最中や、睡眠中にも見えることがあるかも知れない。瞑想とオーラに直接のつながりはない。ただ一つ言えるとすれば、瞑想することによってより平穏な意識に入って行き、そのような意識のときはオーラが見えやすいものだ。

~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より

 

Play video

師・グル・スピリチュアルマスターとは?


~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より


スピリチュアル・マスターが教え子のためにする最も大切なことは、
教え子が自分の奥深くに、
何か広大で無限なものを常に意識出来るようにしてあげること
そしてこの広大で無限な存在とは神に他ならない

 

Play video

グルとは?

グルというのはサンスクリット語のことばで、「光をあてる者」という意味だ。〈光明〉を与える人をグルと呼ぶ。私自身の内的な悟りから言えることは、真のグルは一人しか存在しない、それは〈スープリーム〉なのだ。人間に真のグルはいない。しかし、確かに〈スープリーム〉だけが真のグルとはいえ、ここ地球では時間は貴重なものだ。〈光明〉への旅路を助けてくれる人がいるなら、その人を自分のグルと呼んでもよい。霊性の師<スピリチュアル マスター>、つまりグルというのは家族に喩えると年長の子供のようなもので、そして求道者<シーカー>というのは弟や妹たちのようなものだ。スピリチュアル・マスターは、弟や妹たちに〈父親〉つまり〈絶対なるグル〉がどこにいるのか教え、示してくれる。

真の〈グル〉は広大な青い空のどこかにいるのではなく、われわれのハートの一番奥にいるのだ。こう云うとあなたは、「もしわれわれのハートの中にいるのなら、〈スープリーム〉を見つけ出すのに何故他の人の助けが必要なの?」と思うことだろうね。この計り知れないほど貴重な宝物は確かにわれわれのハートの中に存在するのだが、普通の能力では、見ることも感じることも出来ないのだ。だから助けが必要なのだよ。グル、つまり霊性の師は、またわれわれの友人であり、自分自身の宝物をどうやって見つけたらいいのか、教えてくれるのだ。

boy今生きているグルを絶対に持つ必要はないが、やはり生きたグルを強く薦める。あなたにはゴールがあるのがわかっていて、そのゴールにたどり着きたいと思っている。もしあなたが賢明なら、一最も容易く、安全に、そして効果的にゴールにたどり着くための道を示してくれる人の助けを受け入れるはずだ。神を悟るのに何百年も何千年もかけたいのならば、スピリチュアル・マスターを持つ必要はない。しかし、もしなるべく早くゴールにたどり着きたいのなら、先生は絶対に必要だよ。

マスターは、あなたの内的成長をうながしてくれる。スピリチュアル・マスターというのは、スピリチュアル・ライフにおけるあなたの家庭教師なのだ。家庭教師<チューター>の先生<ティーチャー>とは大きく違う。普通の先生は生徒の答案を見て、点数をつける。生徒に試験をさせて、通すか落とすかを決める。ところが家庭教師は、生徒がテストに合格出来るように個人的に励まし、鼓舞してくれるのだ。人生の旅路では、毎秒毎秒、〈無明〉からの試験がやってくる。しかしあなたの家庭教師は、どうやれば簡単にその試験に通ることが出来るのか教えてくれる。なるべく早く〈至高なるもの〉を悟れるようにシーカーを鼓舞し、アスピレーションを高めるのがスピリチュアル・マスターの仕事なのだ。

この世では、何を習うにも最初は先生が必要になる。数学を勉強するにも、歴史を学ぶにも先生が必要だ。人生の他の事なら何でも、学ぶためには先生が必要なのに、瞑想に関してだけは違うというのは理屈に合わない。自宅で自習出来るのにみんな大学に行くのは何故だろう? それは、ある分野について専門知識を持ったプロから教えてもらえるからなのだ。ほとんの真の知識人と呼べるは皆大学へ行っている。もちろん例外もある。どんなルールにも必ず例外というのはあるものだ。

神は誰の中にも存在する。だから、もしあなたが人の助けは必要ないと感じるなら、自分の力だけで試してみるといい。ただし、もしあなたが賢明で、つまずいたり、ただ歩くのではなく、ゴールに向かって走りたいと思うならば、グルの助けというのは計り知れないものがある。現在、おそらく私は今、ロンドンに居る。海の向うにニューヨークがあることは分っている。ニューヨークに戻らなければならないとしたら、そのためには何が必要だろう?飛行機とパイロットだ。飛行機が私をニューヨークに運んでくれるという事実をわかっているのに、パイロットなしではそこへはたどり着けないだろう?同じように、あなたは神が存在するということは知っている。瞑想を通じて神にたどり着きたいのだが、誰かがそこまで連れて行ってくれないと行くことは不可能だ。パイロットがニューヨークまで私を連れて行ってくれるように、誰かがあなたを、あなたの奥深くにある神の意識へ連れて行ってくれるのだ。瞑想を通して自分自身の神聖さにどうやって入っていったらいいのか、誰かに教えてもらわないといけないのだよ。スピリチュアル・マスターはあなたのもとへ船でやって来るとこう言うだろう。

altardemeditacaosrichinmoy

「さあ来るがいい!〈黄金の岸辺〉<ゴールデン ショアー>に行きたいのなら、この船で連れて行ってあげよう。それだけじゃない、私の船なら、歌っても踊ってもいい。眠っていたっていいのだよ。それでもあなたをその〈岸辺〉まで安全に運んであげから。」

もしあなたが誰の助けも欲しくないというなら、無明の海を1人で泳ぎ切りたいというなら、それはあなた自身で決めるがいい。ただし、それは何年、何人生かかることか分らないし、その上しばらく泳いだら、疲れ切って溺れてしまうかも知れない。グルなしでは、あなたの前進はとても遅く、また不確実になってしまう。遥かな高みへと昇って行くような内的体験をしても、それをそれほど重要なものとは思わないまま、忘れてしまうかも知れない。または疑いがあなたのマインドの中に入ってきて、「私はただの普通の人間なのに、あんな経験をするってことがあるのだろうか? 自分をだましているだけかもしれない。」と思うかも知れない。または友人に自分の経験を話すと、「そんなの全部幻覚だよ!」と言われてしまうかも知れない。しかし内的現実とは何であるかわかっている人がいれば、あなたの内的経験はまさに本当だったと確信させてくれる。師<マスター>は求道者<シーカー>を励まし、インスピレーションを与えてくれる。

そして、もしシーカーが瞑想で何か間違ったことをしていたら、矯正してくれるのだよ。コースを取り終えたら、先生はもう必要ない。歌を学びたかったら、プロの歌手のところに行って歌を学ぶだろう。踊りを習いたかったら、プロの舞踊家のところに行く。上手な歌い手、または踊り手になったら、もう先生のところに行く必要はない。
それはスピリチュアル・ライフでも同じことだよ。最初は助けが必要だが、一度本当の上級者になれば、もう誰の助けも必要ない。もしその人がマスターの真の弟子になったら、自分とマスターが二つの別々の存在だとは感じなくなる。グルは木のてっぺんにいて、自分は木の根元にいるのだ、などとは思わない。そうではなく、その弟子は、グルは自分自身の一番高い部分なのだと感じる。自分とグルは一つで、グルというのは自分自身の最も高く、最も発達した部分なのだと感じるのだよ。だから、真の弟子は自分の最も低い部分を自分の最も高い部分に委ねることに、何の抵抗も困難も感じることはない。献身的な弟子になることは、プライドにかかわることではないのだ。最も低い部分も、最も高い部分も、どちらも自分自身のものだとわかっているからなのだ。

あなたにインスピレーションを授ける人
それが本物の先生だ
あなたを愛してくれる人
それが本物の先生だ
あなたの背中を押してくれる人
それが本物の先生だ
あなたを完成させてくれる人
それが本物の先生だ
あなたを宝物のように扱ってくれる人
それが本物の先生だ

~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より