~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より


boy祈りは平和な人生をあたえ
瞑想は美しいハートをもたらす

祈る時、神は自分より高いところ、頭の上の方にいると感じている。
瞑想する時、神は自分の内深く、ハートの中にいると感じている。

(…)

祈りは純粋だ。マインドはいつも猜疑心、恐れ、心配、不安にさらされ、誤った考え、間違った動きに襲われている。祈りはそれを浄化してくれる。祈りによりマインドは純粋になり、その純粋さは神を受け取る力を高めて行く。

純粋さとは、何を隠そう、神を受けいれる力のことなのだ。祈るたびに内的な器は、どんドん大きくなり、さらに大きく、何よりも大きくなってゆく。すると〈純粋さ・美しさ・光明・喜び〉はその器に入ってきて、ハートの一番奥で共にたわむれる。

瞑想は光の輝きだ。それはハートに光明をもたらす。ハートに光が当たると、不安感や欠乏感は消滅してしまう。その時われわれは、宇宙の意識と超越の意識との分かちがたい一体感の歌を歌う。われわれのハートが光明に照らし出されると、有限なものは無限の中に入り、無限そのものになる。何千年も続いた束縛は消え去り、無限の真実<トゥルース>と光明<ライト>の自由がわれわれを出迎えてくれる。

祈りは神にこう云う。「愛するスープリームよ、あなたは私のもの。あなたは紛れもない私のものなのだとここに宣言します。神聖な資質を尽きることなくお与えください。この地球で私があなたの完璧な道具になれるように。」

瞑想は神にこう云う。「ああ、愛するスープリーム、私はあなたのものです。あなたの御こころのままにいつでも私をお使いください。いつまでも、いつまでも。私を通し、ここ地球で、そして天国で、御自分を満たしてください。」

祈りの最もふさわしいありかたは、日々それを行うと云うこと
瞑想の最もふさわしいありかたは、魂から経験すると云うこと
ヨーガの最もふさわしいありかたは、誠実に生きると云うこと
神の最もふさわしい定義こそは、
神を、神だけを、無条件に愛すると云うことだ

祈りとは絶対的な勢いをもち、空高く上に向かって舞い上がってゆくものだ。祈るとき、それは自分の存在が一点を指し、上に向かって舞い上がっていく炎のように感じる。足の先から頭頂まで自分の存在のすべてが上に向かって祈り、叫んでいるのだ。昇ることによって手を伸ばし神に届くこと、これが祈りなのだよ。

瞑想とは広く広大で、最後には〈無限〉に広がっていくものだ。瞑想では、広大な広がり、限りない平安と至福の海の中へ自分を投げ込む。あるいは自身の内に、無限の〈広大さ〉を呼び入れる。祈りは昇り、瞑想は広がって行く。瞑想は常に〈平安・光明・喜び〉の中で大きくなり広がってゆく。瞑想すると、徐々に光明と歓びの宇宙全体を見、感じ、そして自分がその宇宙そのものになってゆく。

~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より

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