~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より


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無限を垣間見る:瞑想

集中では、何か一つのものに注意の焦点を合わせる。しかし、瞑想では、同時にたくさんのことを見、たくさんのことに対処し、たくさんのことを歓迎する力が自分の内深くにあるのを感じる。瞑想では、自分自身を拡げようとする。あたかも鳥が羽を広げていくように、自分たちの有限の意識を拡げて宇宙の意識に入っていこうとする。そこには恐れもねたみも疑いも存在せず、ただ〈喜び・平安・神聖〉な力があるだけだ。

瞑想とは、意識的に大きくなり、〈無限〉となっていくこと。瞑想の時、実際何をしているかと云うと、空の、落ち着いて静寂なマインドに入っていき、そして〈無限〉そのものから栄養を得て育んでもらっているのだ。瞑想しているとき、望むことはたった一つ。それは神とひとつになること。今私は英語で話していて、あなたはそれを理解することが出来る。英語がよくわかるからだ。同様に、瞑想がうまく出来れば神とひとつになることが出来る。瞑想と云うのは神と会話をするために使う言葉のことなのだ。

 

平安の海

sri-chinmoy-meditating-204x300瞑想は海の底へいくようなもので、そこでは全てが静かで平安に満たされている。水面にはおびただしい数の波が出ているかもしれないが、その下にある海は影響を受けることはない。海底の一番深いところにあるのは静けさだけだ。瞑想を始めたら、まず自分の内的存在、真の存在、つまり海の底にたどり着こうとする。そこにいれば、外の世界から波が押し寄せてきても影響されることはない。恐れ、疑い、心配など世俗的な動揺はみんなただ洗い流されてしまう。われわれの内側には確固とした平安があるからだ。そこでは考えにも惑わされることはない。なぜならマインドが全く平安、静寂、一体感になっているからだ。考えが魚のように、跳ねたり泳いだりしても、あとを残すことはない。自分にとって一番高いレベルの瞑想をする時、われわれは自分を海だと感じ、海の生き物には影響されることはない。または自分は空で飛んでゆく鳥に影響されることもない。マインドが空で、ハートが無限の海。これが瞑想だ。

~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より

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