~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より


front_lotusそれは、この世界がわれわれを満たすことが出来ないから・・

日常生活で、いわゆる平安<ピース>と呼ばれているものは、どこまでも続く不安・心配・失望 の果てにおとずれる、わずかひとときの平穏にすぎない。われわれは常に、嫉妬・恐れ・猜疑心・心配・不安・絶望といった否定的<ネガティブ>な力に囲まれ、そのなすがままになっている。この否定的<ネガティブ>な力は、言わば猿のようなものだ。「猿がかみつくのに疲れて、つかの間の休息をとっているその間こそが平穏でいられる」と云うわけだ。しかしこれは真の平安とは全く違う。次の瞬間にはまた猿に攻撃されてしまうのだから・・・

ずっと続く平安、神聖な平安は瞑想を通して初めて手に入れることが出来る。朝、こころをこめて瞑想し、一分でも平安を受け取ったならば、その平安はその日一日あなたを満たしてくれる。そして最もレベルの高い瞑想をすると、本当にゆるぎない平安<ピース>・光明<ライト>・歓び<ディライト>を得ることが出来る。

瞑想が必要なのは、人が光明<ライト>の中で成長し、自分自身を満たすためだ。あなたにこう云う強い真アスピレーション実を希求する思いと心の渇きがあるのなら、瞑想をする以外に道はない。もしあなたが、現いま在持っているものと現在の自分に満足しているのであれば、瞑想をする必要はない。瞑想を始めるのは、内インナーハンガー的な飢えがあるからなのだ。自分の中に何か光り輝くもの、何か広大なもの、何か神聖なものが在るのを感じている・・・

その何かが絶対に必要なのだ。しかしそれをどうやって手に入れたらいい?

今のあなたにはまだわからない。なぜなら内インナーハンガー的な飢えと云うのは霊スピリチュアル的な必要性から来るものだから。

flower-of-light3瞑想は逃避ではない

もしこの世界から逃げ出して、苦しみを忘れるために瞑想の生活に入るのなら、それはまちがっている。この世における生活の失望や不満といった理由で精スピリチュアルライフ神生活を選ぶのであれば、それは長続きはすることはまずない。なぜなら、今日は欲望を満たすことが出来ずにこの世の中に不満をおぼえたとしても、明日になればきっととあなたはこう云う。「もう一度やってみるさ、今度はきっと上手くいくにちがいない。」

でもあなたはやがてわかってくる。欲望の人生に満足は決してありえないことを。そしてあなたはやがて、精神的な生活へ入ってゆく必要性を感じ始めることになる。

瞑想とは何だろう?
瞑想とは人間の自己覚醒であり、神が自らを捧げること
この二つが出会うとき、
人は内的な世界で不滅となり、神は外的な世界で満たされる

神聖な何かを求める人生<アスピレーションライフ>で欲しいのは唯一、神だけだ。心から神を求めれば、当然、神はご自身をわれわれの元に送ってくださる。しかし神はそれをご自身のやり方で、ご自身が選んだ〈時〉になさるのだ。もしあなたが、誠実なアスピレーションである資クォリティ質を得たいと祈り、瞑想すれば、たとえ神がそれをくださらなくても満足を得ることが出来る。

「ただ神のみがご存じなのだ。今はまだその時期ではないけれど、その時が来れば私に準備が整えば、神はそれを絶対に下さる。」とあなたは言えばよい。神聖な何かを求める人生では、何かを達成して満足を得るのではなく、神聖な何かを求めることそのものから満足を得ることが出来る。あなたは神聖な何かを求めることそのものに満足を感じるようになる。

~ シュリ・チンモイ 著書「瞑想-人間の完成と神の満足」より

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